×

本田「世界一の夢」へ 運命を変えた幸運の地から第一歩

[ 2014年6月15日 05:31 ]

さあW杯初戦へ!ペルナンブコ・アリーナでダッシュする本田

W杯1次リーグC組 日本―コートジボワール

(6月14日 レシフェ)
 ブラジル北東部の港町レシフェ。世界一の船出にこれほどふさわしい舞台はない。最終調整の13日。トップ下で先発が有力な本田圭佑(28=ACミラン)は悠然と報道陣の前を通り過ぎた。呼びかけには無言。「集大成」と位置付けるブラジルW杯で、いよいよ運命のピッチに立つ時が来た。

 会場では入念に芝の感触を確かめた。冒頭15分間の公開練習は黙々とダッシュ。11日の共同取材で「南アW杯とは役割も立場も違う。スタイルも違うので単純に比較はできないけど、今大会に臨むに当たって違う心境になっている」と話した。まだ本調子ではないものの、あくまで自然体。そこには4年間の実績と自信が裏付けされている。

 レシフェで行われた昨年のコンフェデ杯・イタリア戦で1得点。PK弾以上に称賛されたのが攻撃陣を引っ張ったプレーだった。ACミラン首脳に当時CSKAモスクワにいた本田獲得を決断させた一戦。レシフェは運命を変えた幸運の地だ。

 そのミラン入りに尽力したのが本田の兄で代理人の弘幸氏(30)だった。G大阪ユースに昇格できなかった中学3年時、本田の進学先には星稜(石川)の他に三重の伝統校が候補にあった。3つ年上の兄は「プロになるには毎年のように全国に出ないと」と助言。星稜進学を勧めた。右膝半月板を損傷した11年8月には「無理をする時じゃない」と諭され、手術を決めた。前回W杯後、本田が称賛されても弘幸氏は常に「まだまだ駄目」と厳しい愛情で接した。そして願ってやまなかったビッグクラブへの移籍を兄弟で実現。本田の歩みは固い絆の結晶でもある。

 小学校の卒業文集でW杯優勝を宣言した本田少年は頭の中で決勝戦を思い「兄と力を合わせ、世界の強ごうをうまくかわし、いいパスを出し合って得点を入れることが、ぼくの夢」とつづった。
 
 スタジアムの相性に加え、対アフリカ勢は過去7戦5発。決勝点を挙げたカメルーンとの前回W杯初戦同様、コートジボワール戦も6月14日に開催される。縁起の良いデータ一つ一つを“再現”させれば、夢の扉も開けてくる。W杯の舞台に立てなかった弘幸氏も今大会の観戦を予定。二人三脚でサクセスストーリーを描いてきた兄の思いも背負い、今、本田は大いなる航海に乗り出す。

 ▼コンフェデ杯イタリア戦VTR 前半21分に本田がPKを右隅に決めて先制。後半26分には2人をドリブルでかわして右足シュートを放った。3―4で敗れたが元イタリア代表DFベルゴミ氏は「技術的な質とともにフィジカルも強い。こういうプレーがコンスタントにできるのならばミランでも余裕でやれる」と絶賛。イタリアのガゼッタ・デロ・スポルト紙は「HONDAというONDA(ONDAはイタリア語で波)が押し寄せ、イタリアは沈みかけた」と表現した。

続きを表示

この記事のフォト

2014年6月15日のニュース