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俊輔 MVP級活躍もまさかのV逸「一番きつい…」

[ 2013年12月8日 05:30 ]

<川崎F・横浜>敗れた横浜・中村がピッチに崩れ落ちる

J1最終節 横浜0―1川崎F

(12月7日 等々力)
 試合終了のホイッスルが鳴ると横浜のエース中村はその場に崩れ落ちた。「チームを勝たせる仕事ができなかった。ふがいない。申し訳ない」。その瞳は真っ赤だった。

 残り2試合、いずれかに勝利すれば無条件で頂点に立つ絶対的有利な条件も、今季初の連敗で9年ぶりのリーグ制覇は夢と消えた。失点は後半9分。中村が奪われ、逆襲を許したのがきっかけだった。その後、攻め手は斎藤のドリブル突破頼みで、終盤のパワープレーも実らなかった。これまで数々の試練を乗り越えてきた中村も「精神的なきつさは(サッカー人生で)きょうが一番」と声を絞り出した。

 11月に胆のう炎で緊急入院し、同10日の名古屋戦を今季初めて欠場したが、今季は開幕から好調をキープ。自身初のリーグ2桁得点を達成するなど、35歳にして衰えるどころか、さらに進化した姿を見せた。1年を乗り切る独自の食事法も確立。年齢を重ね、試合後の食欲は年々低下。試合で体重が2キロ減ることを見越し「体が少し重くなっても良い」と今季は試合前日に意識的に多く食べて体重を1キロ増やし、素早い回復につなげた。

 出番はわずか1試合に終わり、悔しさをこらえてチームメートに水を運ぶなど裏方に回ったのが10年のW杯。「この経験は今後のサッカー人生にきっと生きる」と話していたとおり、主将として試合に出られない選手の気持ちをくみ取り常に鼓舞。試合後、控え選手の頑張りを強調し続けた発言はまさにその表れで、そんな姿にチームも自然と引っ張られた。

 自身初のJ1タイトルには届かず「主将というのは重い」と中村は一人で責任を背負い込んだ。だが、史上初となる2度目の年間MVP確実と言われる今季の活躍は誰もが認めるところ。先発イレブンの平均年齢が30・34というオヤジ軍団をともに引っ張った中沢は「俊(中村)が凄い責任を感じてるのだと思う。でもそんなことない。彼がいなかったらここまでこられなかった」とねぎらった。敗れはした。だが、この1年の中村の輝きは間違いなく勝者以上だった。

 【俊輔の“悲劇”】
 ★高校 桐光学園(神奈川)3年だった96年度の全国選手権で決勝に進出も、北嶋(J2熊本)擁する市船橋(千葉)に1―2で敗れて準優勝に終わった。
 ★W杯 02年日韓大会では日本代表メンバー入りが有力視されていたが、トルシエ監督の選考基準に合わず落選。初出場した06年ドイツ大会は司令塔を務めたが体調を崩すなどして1次リーグ敗退。10年の南アフリカ大会はアジア予選はエースも、本大会は本田の台頭などでオランダ戦の途中出場だけに終わった。
 ★Jリーグ 00年に日本人最年少となる22歳で年間MVPに輝いたが、鹿島との同年チャンピオンシップでは2戦ともフル出場しながら、2戦合計で0―3で敗れて準優勝。

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