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ザンビア 悲劇の地で“神懸り”アフリカ選手権初V!

[ 2012年2月14日 06:00 ]

アフリカ選手権初優勝を飾り喜ぶザンビアの選手たち

 ガボンと赤道ギニアが共催したアフリカ選手権の決勝が12日に行われ、ザンビアが延長0―0の末にPK戦8―7でコートジボワールを退け、初優勝した。会場のガボン・リーブルビルでは93年に代表18選手を含むチーム関係者25人を飛行機の墜落事故で亡くしており、犠牲者に歓喜の初タイトルをささげた。

 祈りが通じた。両膝をつき、肩を組んだイレブンが雄叫びを上げて走りだす。サドンデスに突入したPK戦。両チーム合わせて18人目のキッカーとなったDFスンズがゴール右に蹴り込み、ザンビアの優勝が決まった。

 「なぜ勝てたのか分からない。まるで特別な力が働いたようだ」とルナール監督が息をついた。FIFAランク71位のザンビアに対し、コートジボワールは大陸最高の18位。劣勢は明白だったが、相手FWドログバが後半25分にPKを外す神懸かりな展開に救われた。

 「あの事故が大会を通じてチームを突き動かした」とGKムウェーネ。93年4月27日にW杯予選セネガル戦のために用意されたザンビア軍用機がリーブルビルの大西洋沿岸500メートルで墜落した。

 94年米国大会でW杯初出場が期待された“黄金世代”の悲劇。主力18人を失った。この日の決勝会場は事故現場から数キロに位置し、大会初戦は犠牲者が対戦予定だったセネガルが相手。運命の巡り合わせを感じずにいられない状況で格上を2―1で破る最初の番狂わせを演じ、勢いに乗った。ムウェーネは「最初の試合に勝った時点でアフリカ王者になることが運命づけられていると分かっていた」と振り返った。

 見えない力の後押しもあったかもしれないが、裏付けもあった。93年当時PSV所属で試合会場でチームに合流するはずだったエースFWブワルヤは事故を免れ、06年大会での代表監督を経て08年からサッカー協会会長に就任。中軸メンバーを固定して長期的視野で代表強化を図り、前回10年大会後に一時ザンビアを離れたルメール監督を昨年10月に再起用するなど継続性を重視してきた。

 決勝は06年大会から残る8選手のうち6人が出場。C・カトンゴ主将は「チェルシーやバルセロナの選手でもチームとして戦えなければ何もできない。われわれには団結力がある」。登録23選手で欧州組はスイスとロシア2部の2人だけ。雑草軍団が悲劇の地で大きな花を咲かせた。

 ▽ザンビア アフリカ南部に位置し、面積は日本の約2倍に相当する75万2610平方キロメートル。首都ルサカ。人口は1293万人で公用語は英語など。1964年に英国から独立し、たばこや綿花などの農業や銅工業などが主産業。サッカーではW杯出場経験がなく、アフリカ選手権は出場15回目で過去の最高成績は74、94年大会の準優勝。

 ◆アフリカ選手権 1957年から行われ、68年大会から2年ごとに開催。16カ国が4組に分かれ1次リーグを戦い、各組上位2位まで準々決勝に進出する。最多優勝は前回大会まで3連覇のエジプトで7度。奇数年開催へ移行するため来年13年にも南アフリカで行われ、13年大会王者が14年W杯ブラジル大会のプレ大会として各大陸王者などで争われる13年コンフェデ杯に出場する。

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2012年2月14日のニュース