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DF近賀 右SBで花開いた天性の攻撃力

[ 2011年8月27日 10:00 ]

なでしこジャパン不動の右サイドバック(SB)として欠かせない存在となった近賀

 なでしこジャパン不動の右サイドバック(SB)として今や欠かせない存在となった近賀。女子W杯ドイツ大会で全試合フル出場して初優勝に大きく貢献した。それでも本人は「今までより攻撃参加の回数が少なくて、個人としては悔しかった」。8歳から本格的にサッカーを始めて18歳で日テレ入りするまでポジションは一貫してFW。持ち味の攻撃力を十分に発揮できなかった不満が残ったという。

 サッカー人生の大きな転機はコンバートだった。日テレでは主にMFで1年目から20試合で6得点を挙げて新人賞を獲得。アテネ行きも有望視されていたが、結果はバックアップメンバーで五輪初出場を逃した。同じ時期にクラブでも出番が減り、親しい人には「移籍も考えている」と打ち明けていたが、アテネ後に代表指揮官に就任した大橋監督に初めて右SBで起用されて一気にブレーク。小学校3、4年の校内マラソン大会で男女混合で学年1位になるなど子供のころからずば抜けていた走力と、FWとMFで培った攻撃力が新ポジションで花開いた。

 実家は横浜市戸塚区の寿司店「寿司雅(すしまさ)」。毎年正月には、飾り付けやエビの殻むきなど家業を手伝う孝行娘だ。W杯1次リーグ・メキシコ戦後にドイツから「今までで初めて」(父・雅志さん)絵はがきを両親に送った。「父の日のプレゼント何もあげられなくてゴメン。W杯のメダルをプレゼントするから待っててね!」と書いた約束を金メダルという最高の形で果たした。

 “クールビューティー”として人気の近賀だが、母みどりさんは「クールは仮の姿。雰囲気に乗るとはしゃぎますから」。ロンドン五輪アジア予選で大暴れしてはじける姿を見てみたい。

 ◆近賀 ゆかり(きんが・ゆかり)1984年(昭59)5月2日、神奈川県生まれの27歳。4歳上の兄・健太郎さんの影響で小3から東汲沢サッカークラブで本格的にサッカーを始める。中学時代の横須賀シーガルス、湘南学院高を経て日体大進学と同時に日テレ入り。今年からINAC所属。日本代表通算69試合5得点。1メートル61、53キロ。利き足は右。

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2011年8月27日のニュース