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五輪で共にプレー 釜本氏「あまりにも早い」

[ 2011年7月18日 06:00 ]

 【森孝慈さん死去を受け】

 ▼埼玉県サッカー協会・横山謙三専務理事(メキシコ五輪代表GK) 元気だったので驚いている。現役時代は僕の前に彼がいて、いつも連係の話をした。サッカーを離れればゴルフ仲間。話し好きなので喉の手術をして話せない時期はつらそうだった。

 ▼釜本邦茂氏(メキシコ五輪代表FW) 東京五輪、メキシコ五輪で一緒にプレーした。日本サッカーが恵まれない時代に一緒に戦った仲間。1カ月ほど前に会ったときは元気だった。入院していたので、こういうことも予期してはいたが、あまりにも早い。

 ▼日本サッカー協会・川淵三郎キャプテン 私が代表監督時代、将来を担う人材としてドイツ留学している森を呼び寄せ、W杯スペイン大会予選でコーチをやってもらった。「自分が監督になったつもりでやれ」と香港戦に臨んだ。それが一番の思い出だ。

 ▼日本サッカー協会・小倉純二会長 メキシコ五輪で活躍し、Jリーグ立ち上げの際には活性化委員会のメンバーに入ってもらった。サッカーの恩人が亡くなり、残念でならない。

 ▼J2横浜FC・奥寺康彦会長 僕がケルンにいた時に、森さんが研修で西ドイツに来ていて親しくさせてもらった。最近は毎年、年末に家族同伴で一緒に食事をしていて昨年末もやったんだけどね。

 ▼日本サッカー協会・原博実技術委員長(元日本代表FW) W杯メキシコ大会予選で負けた時に森さんが「プロをつくらなければW杯に行けない」と言った。それがJリーグ発足のきっかけになった部分もある。森さんの遺志を継いでサッカー界を良くしていかないと。

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2011年7月18日のニュース