×

滝川二、悲願V!“岡崎2世”樋口が得点王

[ 2011年1月11日 06:00 ]

優勝し、応援団の声援に応える樋口(中央)ら滝川二イレブン 

全国高校サッカー選手権決勝 滝川二5―3久御山

(1月10日 東京・国立競技場)
 16度目出場の滝川二(兵庫)が5―3で久御山(京都)を破り、初優勝を果たした。兵庫県勢の優勝は1938年の第20回大会で優勝した旧制神戸一中(現神戸)以来。6大会連続で初優勝校が誕生した。滝川二は前半にFW樋口寛規(3年)の得点などで2点をリード。後半は4―1から1点差とされたが、後半ロスタイムに樋口がこの日2点目を決めてダメ押しした。樋口は通算8得点で得点王に輝いた。

 勝利を確信した背番号10は右手人さし指を突き立て応援団のもとに駆け寄った。4―3の後半ロスタイム。FW樋口がドリブルで突進。この日2点目を右足で突き刺した。今大会通算8点目は全国制覇と単独得点王を確定させる一撃となった。

 「流れがあっちにいっていて、トドメを刺さなあかんと思った。得点王はみんながパスをつないでくれたからです」

 準決勝まで6ゴールで得点ランク2位。右足首痛、右内転筋痛に耐えてピッチに立つと、1―0の前半40分に通算7点目を挙げて1位タイに並んだ。エースのゴールで勢い付いた滝川二は一時4―1とリードを広げながら終盤立て続けに失点。冷や汗をかいたが、最後は主役がけりをつけた。

 兵庫県勢73年ぶりの優勝。選手は16年前の阪神大震災時に幼児で、被災した選手もいる。樋口の自宅は宝塚市にあるが、近くに仮設住宅が造られた。母・嘉子さん(51)は「仮設住宅の脇でよくボールを蹴っていた」と、成長したわが子を涙を浮かべて見守った。

 プロへの道を自力で切り開いた。卒業後の進路が決まっていなかったが、清水入りが決まった。宝塚ジュニアFC、滝川二の先輩で、同じ4月16日生まれの日本代表FW岡崎慎司と同じ道を歩む。準決勝後、カタールにいる岡崎から「歴史を塗り替えろ」とメールが来た。期待に応えた樋口は「(岡崎さんに)足元にも及ばないけど、少しずつ追いついて最後は追い抜けたらいい」と力強く語った。その岡崎はドイツ移籍が決定的。“岡崎2世”は「自分も世界で活躍する選手になりたい」と飛躍を誓った。

 ▼清水・内藤スカウト 樋口はシュート、ポストプレーがうまいし、2点目のようにゴール前で落ち着きがある。高校時代の岡崎より上。岡崎には努力する才能があったが、樋口もどれだけ向上心を持ってやれるか。

 ≪浜口主将「うれしすぎる」涙≫2トップを組んだ樋口とともに2得点を挙げた浜口主将は「うれしすぎます。(優勝を)自分たちの代で達成できてよかった」と涙を見せた。青山学院大に進学予定で将来は教師として母校に帰ってくることを夢見る。栫監督も「FWの2人がいいタイミングで点を取ってくれた」と称えた。

 ≪戦後3度目のゴールラッシュ≫決勝で両校合わせて8点以上が記録されたのは戦後3度目だった。最多は第55回大会で、浦和南(埼玉)が5―4で静岡学園を下した試合の9点。第26回大会の広島高等師範付属中(現広島大付)が7―1で尼崎中(現県尼崎=兵庫)に大勝した一戦に並ぶゴールラッシュとなった。

 ◆樋口 寛規(ひぐち・ひろき)1992年(平4)4月16日、兵庫県生まれの18歳。小1から宝塚ジュニアFCでサッカーを始める。学文中から滝川二へ進学。好きな選手はA・マドリードのウルグアイ代表FWフォルラン。家族は両親と兄。1メートル71、71キロ。利き足は右。血液型A。

 ◆滝川二 1984年(昭59)創立。04年から中高一貫校となった。現在神戸で育成部門を担当する黒田和生前監督の下で全国でも屈指の強豪へと成長し、岡崎慎司(清水)金崎夢生(名古屋)加地亮(G大阪)ら日本代表クラスの選手を数多く輩出している。ゴルフ部や硬式野球部も全国レベルの強豪。

続きを表示

この記事のフォト

2011年1月11日のニュース