元広島監督・三村氏、心不全で急死…球界ショック
◆ 3日午前10時5分、仙台市内の病院で死去 ◆
元広島監督で本紙評論家もつとめた楽天・三村敏之統括本部編成部部長が3日午前10時5分、心不全のため仙台市内の病院で死去した。61歳。三村氏は5月に広島市内の病院で肝臓の手術をして静養するなど体調はすぐれなかったが、夏前には現場に復帰。10月29日のドラフト会議にも出席していたが、2日夜に仙台市内のマンションで吐血、緊急入院先の病院で帰らぬ人となった。遺体はきょう4日、故郷・広島に運ばれる。
◆ 10月29日のドラフト会議も元気に出席 ◆
現役時代は遊撃手、三塁手として活躍。攻守に堅実なプレーで1975年の広島のリーグ初優勝、79、80年の日本シリーズ連覇に貢献した三村氏が長女にみとられながら永眠した。今年5月に肝臓の手術をし体調はすぐれなかったが、10月のフェニックス・リーグを視察。同29日のドラフト会議にも参加していただけに、突然すぎる訃報(ふほう)だった。
前日2日は、3日からの秋季練習を前にした球団事務所のコーチ会議に参加する予定だった。しかし、体調がすぐれないことから市内のマンションに戻り静養。その後体調が急変して吐血し、自ら救急車を呼び緊急入院。朝方になって再び容体が悪化したという。
現役当時から卓越した野球理論は評価が高く、2軍コーチ、監督などを経て94年から1軍監督に就任。98年まで1度もユニホームを脱ぐことはなかった。監督時代は金本(現阪神)、緒方(現広島野手コーチ)らの能力を引き出し、95年に大野(現広島ヘッド兼投手コーチ)を抑えから先発、佐々岡(本紙評論家)を先発から抑えという大胆な配置転換で新たな才能を見いだした。99年からは本紙評論家として健筆をふるい、04年に山本浩二元監督の復帰にともないヘッドコーチに就任。人材育成の手法は球界外からも評価され、06年には福山大の客員教授としてスポーツマネジメントの講義を行っていた。
厳しさの中にもしゃれっ気と優しさを兼ね備えた知性派。その訃報には、球界各方面から惜しむ声が相次いだ。
[ 2009年11月4日付 ]
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