スポニチ大阪

<番外編>OSK、81年の歴史に幕閉じる 近鉄劇場サヨナラ公演千秋楽

OSK日本歌劇団のラストステージ


 宝塚歌劇団とともに女性だけのレビュー劇団として81年の歴史を誇るOSK日本歌劇団が5月末で解散することになり、ファイナルレビュー「Endless Dream〜終わりなき夢」(吉峯暁子作、演出)が、大阪・近鉄劇場で上演された。今回は「宝塚歌劇支局」番外編としてこの公演の千秋楽の模様をお伝えしよう。

 トップスター、那月峻の歌う主題歌「エンドレス・ドリーム」乗せて満員の会場に虹色のペンライトの光が揺れる。客席は解散を惜しむファンの嗚咽と涙で異様なまでの興奮状態となった。そして最後の曲はOSKのテーマソング「桜咲く国」。総勢69人のスターたちがボレロやワルツなどさまざまに変奏しながら日舞、燕尾服で歌い踊りついでいき、いよいよフィナーレ。カーテンコールのあと那月が「長い間本当にありがとうございました。あの日の衝撃は忘れられませんが一人ひとりが自分を見つめ直し進むべき道を考えるいい機会になりました。OSKの団員であったことを誇りを持って歩んでいきますのでこれからも温かく見守ってください。ひとまずお別れします。きっといつかどこかでお会いしましょう」とあいさつすると歓声と大きな拍手が巻き起こった。

 この日のステージはわずか25枚の当日券をめぐって徹夜組も出る人気。前トップの洋あおい、煌みちる、湖上芽映らOGの姿も多く歴史あるOSKの最後にふさわしい盛り上がり。華やかな日舞の総踊りで開幕する第1部「OSK春のおどり・夢燦燦」OSKの主題歌メドレーはじめ、ラテンやラインダンスなどパワフルなダンスが連続する第2部「Born to Dance!」は一場面ごとに温かい拍手が送られた。別れを惜しむ観客の拍手はフィナーレが終わっても鳴り止まずカーテンコールは6回繰り返された。那月ら出演者はあふれる涙をこらえ笑顔を絶やさず満員の客席とともに手を振って別れを惜しんだ。

 終演後会見した那月は「無事に終えられてほっとしました。きょうの舞台は出演者全員一生忘れることはないと思う」と話したあと「私自身はこれでいったん区切りをつけたい」と今月限りの引退を表明、6月以降はソロで活動したい意向。

 これに続いて、30日には、東大阪市の歌劇団事務所では解散式が行われた。午後2時のセレモニーには69人全員が第1稽古場に整列。大曽根利彦社長が「存続の努力したが甲斐なく解散の日がきてしまいました。感謝の気持ちを持って前向きに再出発してもらいたい」などと全員を前にしてあいさつ。一人ひとりに解職辞令と記念品を手渡した。劇団員有志で作る「OSK存続の会」は、独自で新たに新劇団を作って活動を再開したい意向で、6月早々にも会見を行い、今後の方針を発表したい意向だ。

 OSKは、1922年(大正12年)松竹楽劇部として発足。当初は大阪松竹座を本拠地として「春のおどり」「秋のおどり」などを上演、1933年(昭和8)千日前の大劇に本拠を移し、さらに人気ふっとう、庶民的なレビューで宝塚歌劇団と人気を2分した。秋月恵美子、勝浦千浪、笠置シズ子、京マチ子らのスターを輩出した。最近では瀬戸カトリーヌもここの出身。

 1967年(昭和42)大劇閉鎖とともに近鉄が経営に参画、あやめ池に本拠をおいたが、そのころから人気が衰退。しかし1985年(昭和60)近鉄劇場がオープン、年1回の大阪公演が再開、固定ファンがついてきた矢先の解散となった。

 解散を機に引退を表明しているトップスターの那月峻は淡々とした表情で辞令を受け取ったという。

 一方、存続に向けて精力的に活動している「OSK存続の会」の吉津たかし代表は「来月早々にも会見を開いて経緯をお話ししたい」とこの日は、今後については口を濁した。(薮下哲司)






● 薮下 哲司(やぶした・てつじ) ●
大阪府生まれ。関西大学文学部仏文科卒。71年スポーツニッポン新聞大阪本社入社。77年文化部に配属、放送、音楽などを担当後、現在、特別委員として映画、演劇を担当している。宝塚歌劇は80年から担当、劇団発行の「宝塚グラフ」バウ公演評「歌劇」新人公演評を歴任。著書に「宝塚の誘惑」(共著)「宝塚伝説」「宝塚伝説2001」「宝塚歌劇支局」(青弓社刊)がある。05年、毎日文化センター(大阪)で「タカラヅカの魅力」講座を開設、07年から甲南女子大学非常勤講師に、宝塚講座を持っている。

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