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福大ハンドボール部

 【20年東京五輪へジャンプ!九州から革命】

 九州各県や山口の大学、高校の部活や注目選手を応援するスポニチキャンパス。今回は愛好会として1967年に産声を上げ、50年目を迎えた福岡大学ハンドボール部にスポットを当てる。全国制覇は目標の一つに過ぎない。九州から日本代表にも影響を及ぼし、日本ハンドボール界の現況を変えようと奮闘している。

50年目を迎えた福大ハンドボール部メンバー

 野望がなければ、大事を成し遂げられない。福大ハンドボール部の田中守総監督は九州からムーブメントを起こそうともくろんでいる。

 「何とか流れを変えたい」。日本ハンドボール界を取り巻く状況は厳しい。リオ五輪で実施された28種のスポーツのうち、日本が代表選手を送り込めなかったのはハンドボールだけ。72年ミュンヘン大会から五輪に正式採用された男子で日本の出場は88年ソウル大会が最後で、女子は正式採用された76年モントリオール大会が最後だ。田中総監督は日本協会の理事で強化育成委員長、九州協会では理事長を務める。学内だけにとどまらず幅広い視野で、この競技に向き合う。

 男子の世界情勢はドイツやデンマーク、フランスなど欧州の強豪が覇権を争う。旧ユーゴスラビア勢やロシアなど、かつての共産圏も地力がある。アジアではカタールが台頭しバーレーンやサウジアラビアなど中東勢と韓国が上位。日本はアジアでも4~5番手のポジションだ。

 欧州の列強はチーム平均で身長1メートル90以上、体重90キロ以上。対する日本は同じくチーム平均で1メートル80、80キロしかない。正面で向き合う形なら身体接触が認められているこの競技で、体格差は埋めがたいハンデとなる。

 この壁を突破するヒントは、学生ハンドボール界で躍進を遂げた福大の歴史に埋まっているかもしれない。80年代の全日本学生選手権は関東勢、関西の大体大が8強を占めていた。83年に就任した田中監督はまず基礎体力強化に重点を置いた。「技術の差は大きい。まず体力で負けないこと」。筑波大大学院在学時の専攻は筋組織化学で、スポーツ生理学などトレーニングと直結する分野にもネットワークを持つ。さらに自身の陸上競技経験なども加味した練習メニューで走り負けないチームづくりに励んだ。守備でも革命を起こした。先に仕掛けて相手の攻撃パターンを誘導する「守備主導」の考え方で、システムで守る形を構築。堅い守りから走力を生かした速攻が武器となった。87年には大体大を破り、西部日本大会で優勝。関東の強豪と争う88年の全日本学生3位に入った。創意工夫で新たなスタイルを確立。“列強”の関東勢とも互角に渡り合い、九州の学生ハンドボール史を塗り替えた。

 日本代表、トップチームに人材を送り込む努力も継続中だ。中山剛(現湧永製薬監督)は1メートル91の長身からパワーあふれるシュートを武器に、在学中(2年)の89年に代表入り、エースとなった。

練習にも熱が入る

 2020年の東京五輪で代表入りを狙う逸材が現在の福大にもいる。清家卓也(2年)だ。ポイントゲッターのレフトバック(左45度)で身長1メートル84、ジャンプ力を生かして高い位置から切れのあるシュートを持ち味とする。中学、高校と宮崎県選抜メンバーとして全国大会や国体を経験し、すでに世代別の日本代表入りを果たした。延岡工3年だった14年にU―19代表としてユースアジア選手権(ヨルダン)、福大進学後の昨年はU―22代表として東アジア選手権(台湾)に出場した。田中総監督の評価は「スケールの大きさがあり、高校までもまれてないから伸びしろもある」で、ひと皮むければ大化けする可能性も。本人も「東京五輪は常に練習から意識している」と言う。

 課題の一つは体づくりだ。細身で体重74キロしかなく、10キロ増の84キロが目標。理想のプレーヤーは日本リーグの大崎電気に所属するレフトバック信太(しだ)弘樹だ。「ロング、ミドル、どちらのシュートも凄い。周りを生かすプレーができるフル代表のエース」。憧れの選手と対面する機会もあった。U―22合宿の練習試合で大崎電気と対戦。その後もネット動画などでプレーを必ずチェックし、脳裏に焼き付けた。「レベルが違い過ぎるけど、いつか追いつき、追い越したい」。部の伝統として継承されている“野望”を胸に精進を続け、将来は日本ハンドボール界をけん引する意気込みだ。

 ▽福大ハンドボール部 福岡市城南区七隈にあるキャンパスの一角、第2記念会堂に活動拠点を置く。1967年に愛好会として発足。79年に全九州学生選手権を初制覇。81年に同好会に昇格。86年に体育会の部に昇格した。今秋の九州学生リーグで32季連続48回目の優勝を飾った。春秋の2季制となった92年以降、優勝を逃したのは97年春、00年秋の2回だけ。九州では無敵の「常勝軍団」だ。

 ◆田中 守(たなか・まもる)1958年(昭33)7月30日、群馬県出身の58歳。福岡大学スポーツ科学部教授、同ハンドボール部総監督。吉岡中で野球、渋川高で陸上、筑波大でハンドボールを始めた。同大学院でコーチとなる。83年に福岡大学体育学部助手となり、監督に就任、九州学生連盟の理事も務める。全日本では男子のフィットネスコーチ兼チームドクター、女子ジュニア、女子学生選抜のコーチを歴任。

(左から)清家、野口、白川主将、中尾

 ≪清家、野口、中尾ら未来の星≫世代別の日本代表経験を持つ清家のほかにも有望株がいる。まずはセンターバックの野口智秀(3年)だ。司令塔にあたるポジションだけに競技の魅力を「周りを動かして試合をどう組み立てるかが楽しい」と表現する。田中総監督によれば「ハンドボールをよく知り、駆け引きもうまいクレバーな選手」。まさに適材適所。最終学年となる来季はコート内外で現在以上のリーダーシップの発揮を求められる。将来は「社長、起業家」を志し、スポーツの枠にとどまらない野望を抱く。ライトバック(右45度)の中尾俊介(3年)はテクニシャンだ。身長1メートル75と上背はないものの、総監督の評価は「身体能力が高く、日本代表の宮崎大輔に似たタイプ」。代表のエースとの共通点は身長、大分出身、ボール扱いのうまさだけではない。競技に対する真摯(しんし)な取り組みも含まれている。本人が福大進学を決めた理由が頼もしい。「関東や関西の強豪に行くよりチャレンジャーの方が楽しい」。九州から中央の列強に挑み、下克上を成し遂げる。「世代別の代表も経験していないけど、トップリーグでプレーできれば。代表も目指したい」。貪欲に頂点を目指す。

田中総監督(左)と森口部長

 ≪森口部長“医学”と融合≫森口哲史部長(44)は特異な経歴を生かして貢献する。「コーチだけ、トレーナーだけで食べていくのは難しいと思った」。プロ野球の近鉄やロッテなどでトレーニングやリハビリを指導した立花龍司氏などに刺激を受け、競技指導とスポーツ医学の融合を志した。医学の博士号取得後、非常勤講師を務めながら鍼灸の資格も取得。チームではフィジカルトレ、選手のケガへの対応など健康管理を引き受ける。かつて鹿児島大の監督として、田中総監督とは九州学生リーグのライバルだった。

 ≪白川主将、自分にも厳しく≫白川大貴主将(4年)は調和と規律の両立を目指し、率先垂範でチームをまとめた。「人に意見しないといけない立場。その分、自分に厳しくしてきたつもり」。山口県岩国市出身で、父がハンドボールの選手、指導者だった。その影響で小4から競技を始めた。「練習はきついけど、大きな大会でみんなの気持ちが一つになった時は“やっててよかった”と思う」。教員免許を取得し、卒業後は指導者の道を歩むつもりだ。


マネジャーの成富さん(左)と谷崎さん

 ≪マネジャーも競技経験者 谷崎有香さん、成富モモさん≫ハンドボール部を2人の女神が支えている。女子マネジャーの谷崎有香さん(4年)は佐賀清和高でGKを務め、総体の県大会準優勝にも貢献した競技経験者。福大進学後も「好きなハンドボールにかかわりたい」と“縁の下の力持ち”を買って出た。負傷者に対応するため森口部長からテーピングの巻き方を学ぶなど献身的に活動している。工学部に在籍し、卒業後は道路設計など町づくりにかかわる仕事に就く予定だ。

 もう1人の成富モモさん(1年)も佐賀清和高ハンドボール部の出身。高校時代もマネジャーを務めた。顧問の船津久和教諭から「目配り、気配り、心配り」を心得として叩き込まれた。人見知りするタイプと自らを分析。「空気読み、先読みが必要。臨機応変な対応が求められる」。この活動が自己改革にも役立つはず、と張り切っている。人文学部に在籍。カウンセラーを目指して心理学を専攻する予定だ。

 2人とも競技の魅力として挙げたのがスピード感だ。速攻からジャンプシュートを鮮やかに決めればポイント高し。部員の皆さん、頑張って。

[ 2016年11月24日 ]

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