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五つ星 スピードスケート 岡崎朋美/「五輪に至る過程が好き」

五つ星 スピードスケート 岡崎朋美/「五輪に至る過程が好き」

長野「夢を現実に」ソルトレーク「終わりなき挑戦」そしてトリノで「集大成」

2005年W杯カルガリー大会女子五百メートル、日本記録で優勝した岡崎は笑顔
Photo By AP

 100分の1秒を争うスプリント競技では若さと体力がものをいう。だが、スピードスケートの岡崎朋美(富士急)はその常識を見事に覆した。98年長野五輪の銅メダリストも既に33歳。00年4月には椎間板(ついかんばん)ヘルニアの手術を受け、今でも腰に5センチの傷を持つ。にもかかわらず、今季は5年ぶりにW杯で優勝するなど絶好調だ。復活の原動力となったのは「何でもやってみなくちゃ分からない」という超プラス思考だった。(専門委員・藤山健二)

激痛に襲われメス入れる決心

おだやかな表情で過去を振り返る岡崎
Photo By スポニチ

 ――腰の具合はいかがですか。

 「マッサージは毎日きちんとやっています。痛みもないし、あれっ、本当に手術を受けたのかなって感じです」

 98年の長野五輪で銅メダルを獲得し、ソルトレークシティー五輪に向けて順調に調整を続けていた00年3月、岡崎は突然激しい腰痛に襲われた。以前から患っていた椎間板ヘルニアが悪化。「目を開けたら体が全然動かず、痛みで起き上がることもできなかった」という。

 ――その時はやっぱり目の前が真っ暗になった感じ?

 「さすがにもうダメだと思いましたね。でも逆にあまりにも痛みがひどかったので、手術を受けようと決心するまで5分とかかりませんでした」

 ――でも、スポーツ選手にとって腰は命。だいぶ悩んだのでは。

 「そんなふうには考えなかったですね。スケートを続けるためには手術を受けるしかなかった。もちろん、腰にメスが入るんだから、最低でも1年間のブランクは覚悟しました。ただ、何でもやってみなくちゃ分からない。手術を受けたからって体力が落ちるとは限らないから」

耐えていれば必ず道は開ける

ソルトレークシティー冬季五輪スピードスケート女子五百メートルでは6位に入賞した岡崎
Photo By スポニチ

 ――そんな状況で02年のソルトレークシティーでは6位入賞。みんな感動しました。

 「手術を受けた時にはソルトレークまで2年しかなかったから、その意味では賭けでしたね。でも、さっき話した通り、何事もやってみなくちゃ分からない。確かに体力的には長野の時より落ちたけど、その分技術や精神面での進歩はありましたから」

 ――というと?

 「先輩の(橋本)聖子さんから忍耐ということを教えてもらいました。つらい時でも我慢強く耐えていれば、必ず道は開けると。だから回り道しても心配はなかった。技術的にはスタートの時に腰に負担がかかるので、100メートルまでを楽に滑るように心がけました」

 ソルトレークシティー五輪前から若手が次々と台頭し、岡崎は忘れられた存在になりかけた。だが、03年11月のW杯ソルトレークシティー大会で3位に入り、健在ぶりをアピール。そして今年1月15日のカルガリー大会では37秒73の日本新で5年ぶりのW杯優勝を飾った。

 ――33歳での復活優勝には正直驚きました。

 「私自身も予想以上の出来だと思っています。実は、昨年の春先からやっと体が完全にもとに戻ったんです。ハードな練習をしても腰が痛くない。マッサージしてもらうと、1カ所だけじゃなくて、体全体が凝っている。それって、すごく体のバランスがとれている証拠なんです。それから思い切った練習ができるようになった」

「手術4日後には歩いていました」

スピードスケート世界距離別最終日、女子千メートルで14位に終わった岡崎朋美
Photo By スポニチ

 長野で銅メダルを獲った時点で引退する選択肢もあった。だが、周囲の騒ぎとは対照的に、岡崎自身は長野での滑りに全然納得していなかった。

 「後でビデオで見たら、コーナーを曲がる時にバランスを崩してタイムをロスしていた」からだった。「何これって感じ」。それが今でも長野に対する自己評価だ。

 ――手術後の経過はどうだったの?

 「1カ月入院しました。今でも5センチぐらいの傷あとが残っていますよ。でも経過はすごく順調で、1週間は絶対安静と言われてたのに4日目にはもう歩いていました」

 ――筋力の衰えはかなり厳しかったはず。130キロまでOKだったスクワットが80キロ台まで落ちたとか。

 「確かに見た目は変わらなくても、太腿の筋繊維が細くなって、その分脂肪が増えていました。でも、脂肪があればそれを筋肉に変えることはできるんですよ。脂肪まで落ちていたらもっと大変でした」

コーナーをどう回るかが課題

世界距離別選手権を前に練習を行う岡崎朋美
Photo By スポニチ

 ――長野の時は「夢を現実に」、ソルトレークでは「終わりなき挑戦」を掲げましたが、来年のトリノはどうですか。

 「一言で言えば“集大成”かな。長野も含めて、まだ一度も完ぺきな滑りをしたことがないので、今までやってきたことのすべてを出し切りたい」

 ――そのための課題は何ですか。

 「ストレートのスピードを落とさずにコーナーをどう回るか。それに尽きます。外国のトップ選手はそれができている。私はまだ7割程度」

 ――岡崎さんにとって五輪とは何ですか。

 「何なんでしょうね。ただ、私が好きなのは五輪そのものではなく、そこに至るまでの過程なんです。4年間をどう過ごしてきたかですべてが決まる。それがたまらない。確かに来年のトリノは年齢的には厳しいけど、やってみなくちゃ分からない。あと1年、楽しみにしててください」

【編集後記】ゴールがないから輝き続ける

リンクで調整する岡崎朋美
Photo By スポニチ

 普段、何げなく「前向き」「向上心」という言葉を使ってきたが、それらの言葉は岡崎のためにあるのかもしれない。過去のレースについて聞くと必ず「あそこでミスがあった」と振り返る。そして「でも、ミスがあった方が次につながるからいいんです」と続く。これではゴールは永遠にない。だからこそ33歳になった今でも輝いているのだが、来年のトリノで、もし万が一納得いく滑りができなかったら、また現役を続けるのだろうかと、ちょっぴり心配になってしまった。

岡崎朋美(おかざき・ともみ)

笑顔でインタビューに応じる岡崎朋美
Photo By スポニチ

1971年(昭46)9月7日、北海道斜里郡清里町出身、33歳。釧路星園高から90年に富士急入社。94年リレハンメル五輪五百メートル14位。98年長野五輪五百メートル3位。02年ソルトレークシティー五輪五百メートル6位。五百メートルのベストは37秒73。1メートル63、56キロ。太腿の周囲は58・5センチ。

 

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