五つ星 ショートトラック 神野由佳/行くことは前提。どう戦うかが大切
国内敵なし絶好調娘
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全日本STスケート、女子三千メートルも1位、完全優勝で総合3連覇を果たし喜ぶ神野由佳
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スピードスケート・ショートトラック女子の神野由佳(24=綜合警備保障)が、国内敵なしの快進撃を続けている。昨季は全日本距離別3冠、全日本選手権全4種目制覇の総合優勝。今季もW杯で初の表彰台となる3位に入り、全日本距離別2年連続3冠と絶好調だ。壁に当たり続けたスケート人生に別れを告げた時、神野の才能は花開き、06年トリノ五輪の星になった。(運動部・鈴木誠治)
「行っただけ」世界選手権が転機に
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全日本ST第1日、女子千五百メートルを制し、ファンの声援に応える神野由佳
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「上にいくと油断して、また落ちて…。そんなんばっかなんで」
優しい笑顔から柔らかな関西弁がこぼれた。氷を降りると「小心者」と言う。「走るのは速かったけど、体力測定ではむしろ下の方」と笑った。そんな神野の才能は、スケート人生にそのまま隠されていた。
これほど分かりやすいキャリアを持つ選手も珍しい。小6から始めたショートトラックは、大阪・大谷高3年で世界ジュニア選手権、それに続く世界選手権代表という成果に結びついた。その99年は長野五輪翌年。世代交代の波の中で入った代表だったが、5人中5番目の代表は補欠を意味する。初めての世界選手権は、ブルガリアまで「行っただけ」だった。
「悔しかった。その年は5番手の力の人が4、5人いて、その中で私が選ばれたんです。もし次の世界選手権に出られなかったら、まぐれだって言われる。それが嫌だった。ジュニアから出て、上を目指そうと意識が変わった」
シニアの代表に入ったと思ったら、また戻ってしまいそうな危機感に見舞われた。
「転機だった。もし、リレーだけでも出ていたら次の年はなかったかもしれない」
最初の壁は負けん気で乗り切った。
柏原コーチとの出会い
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練習で先頭を引く神野由佳
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立命大に入学した翌シーズンは、勉強と両立しながら結果を残した。世界ジュニアで千メートル4位、世界選手権も2番手で出場した。だが、翌01年世界選手権はまた補欠に戻る。大学入学で大阪から京都に移り、環境が変わった。長野五輪男子五百メートル金メダルの西谷岳文(25=サンコー)らトップ選手がそろうメッカ大阪とはレベルが違った。
2度目の壁は出会いが救ってくれた。
「素質はいいが、今のままじゃ危ない。ソルトレークシティー五輪までの1年間だけでも東京に通ってみるか?」
現在も指導を受ける柏原崇史コーチ(55)だった。決断は早かった。
「あと1年やし、留年してもいいから、通いじゃなく東京に行く」
柏原コーチの自宅近くに部屋を借りた。
「しっかりスケートを教えてもらったのは初めてだった」
本番前に燃え尽きたソルトレーク
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ソルトレークシティー五輪、ショートトラック女子三千メートルリレーで惜しくもメダルを逃した日本女子チーム。(左から)高田貴子、勅使川原郁恵、神野由佳、田中千景
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ソルトレークシティー五輪最終選考となった01年12月の全日本選手権は全4種目で2位。2番手として五輪代表に選ばれた。しかし、本番を前に神野は燃え尽きていた。
「五輪代表に選ばれた時点で私は終わった。それで満足しちゃった」
五百メートルは予選で転倒、千五百メートルも接触されて転倒した。
「でも、そんなに悔しくなかった。五輪を最後に引退しようと思っていたから」
三千メートルリレー4位。それで、スケート人生は終わるはずだった。
3度目の転機は天の声だった。半年間、スケートを離れていた神野に、立命大・有波勉監督が就職先を探してくれた。綜合警備保障だった。
「受け入れてくれる会社があるなら続けたいと思った。ソルトレーク前の1年であそこまで上がるんやから、もっとって希望も見えた」
03年杯全4種目で予選落ち
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全日本ST第1日、女子五百メートル、表彰台で笑顔を見せる神野由佳(中央)
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最後の壁は03年のW杯北京大会だった。全種目で予選落ちした神野に、柏原コーチは徹底的な技術練習をさせた。
「2カ月でいきなり変わったよ」
五百メートルのタイムが1秒も上がり、6周のラップは昨年12月、国内歴代最高をマークした。最後の壁は努力で乗り越えた。
「この年齢だと力は上がらないものだけど、どんどん伸びる」
柏原コーチの言葉は、壁に阻まれ続けるスケート人生は終わったことを意味した。国内敵なし、W杯で表彰台に上がる進撃が始まった。だから、トリノ五輪を前に神野はこう言える。
「今は五輪に行くことは前提。行ってどう戦うかが大切です。行くのが目標なら、何回行っても同じことだから」
遅々とした歩みは、1シーズンごとに後退を繰り返した。負けん気を出し、出会いに決断し、天の声に迎えられ、最後は努力した。動機、運、環境、練習。壁を乗り越えるたびに、きれいに手に入れた戦う才能。だからこそ、トリノを射程に入れる神野の今があるのかもしれない。
「吸収力が高い。今でも伸びる」
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全日本ST第1日、女子五百メートル決勝で最終コーナーまで激しく競り合う神野由佳(左)と田中千景
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神野を指導する柏原コーチにとっても、トリノは悲願の懸かる五輪だ。77年、日本人として初めて世界選手権に出場したショートトラックの草分け的存在。コーチとしても、92年アルベールビル五輪男子五千メートルリレー銅メダルの川崎努、赤坂雄一らを育てた。
指導者となって24年。五輪に送り出した選手は14人に上るが「まだ、銅メダルだけなんだ。それもあってやっているのかもしれない」と言う。公開競技だった88年カルガリー五輪では、獅子井英子が女子三千メートルで金。同じく金メダルを獲った女子三千メートルリレーには4人中3人の教え子を送り込んだ。だからこそ余計に悔しさが募る。
「田中が獲れると思ったんだけどね。残念だった」。前回の02年ソルトレークシティー五輪。田中千景(31=長野・岡谷東高教)に大きな期待を寄せたが、不運もあってメダルに届かなかった。「神野は田中の次元にはきていなかったんだけどね。1年前までは」。それが「最近、楽しみになってきた」と話した。
柏原コーチは神野の良さを「自分との相性」と言う。「私の言葉をすぐに理解できる。吸収する力が高いから今でも伸びる。中距離では田中を超えた」と評価した。本業は東京・白金で工務店を経営する社長さん。寝る間もないほど忙しい日々を送るが、神野に懸ける情熱が「凄くきつい」生活を支えている。
【レンズの向こう】アップも素敵ですよ
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全日本ST第1日、女子五百メートル決勝レース後、健闘をたたえ合う神野由佳(左)と田中千景
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笑顔を見せながら関西弁で記者と雑談をかわす。飾らない姿勢がとても素敵だ。いつも友人たちの輪の中心にいる人気者、それが彼女の第一印象。でも実は人見知りの恥ずかしがりや。「顔のアップより滑っているときの写真を使ってください」。インタビューを終えた後、顔を赤くして懇願されてしまった。でも、ゴメン――。(写真部・白鳥佳樹)
神野由佳(かみの・ゆか)
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笑顔でインタビューに応じる神野由佳
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1980年(昭55)12月8日、大阪・東大阪市生まれの24歳。小6の時に堺市の「臨海クラブ」でショートトラックを始める。元スケート選手の父・由則さん(53)の指導で頭角を現し、大阪・大谷高で世界ジュニア、アジア大会、世界選手権に出場。立命大では哲学科で心理学を専攻し、高校の「公民」の教員資格も持つ。1メートル63、54キロ。家族は父と母・ちどりさん(53)兄・由貴さん(27)。血液型O。

















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