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原沢 誇りの銀 “逃げ切った”相手リネールに大ブーイング

[ 2016年8月14日 05:30 ]

リオ五輪<柔道・男子100キロ超 決勝>銀メダルを披露する原沢

リオデジャネイロ五輪柔道・男子100キロ超級 決勝

(8月12日)
 男子100キロ超級では五輪初出場の原沢久喜(24=日本中央競馬会)が銀メダルに輝いた。決勝で世界選手権7連覇中のテディ・リネール(27=フランス)と初対戦し指導1つの差で優勢負け。徹底的に組み手を封じ込まれ“絶対王者”の壁を崩せなかった。男子の全階級メダルは64年東京五輪以来7階級制になった88年ソウル五輪以降では初めての記録となった。

 リネールとの頂上決戦。五輪の決勝という最高の舞台が整った。大歓声の中、入場口で試合を待つ原沢は、高ぶる様子もなく、普段とまるで変わらない表情に見えた。

 「やる気ある?」。原沢が小学生の頃、母・敏江さん(54)は、試合に負けてもひょうひょうとしている息子にいつも聞いてしまったという。服部清人さん(23)は日大柔道部で原沢と同期生。入学後しばらく原沢は誰とも口を利かなかった。無口で大柄な男に服部さんは聞いてみた。「ねえ、感情って分かる?うれしいとか悲しいとか」。返事はこうだった。「うん。分かるよ」

 その男がリオの畳の上で最強の王者と戦っていた。「落ち着いて無心で戦うことができた」。したたる汗と激しく弾む息づかいに必死の思いがにじみ出た。

 スタミナに自信を持つ原沢は後半勝負を考えていた。「前半は指導1に抑えたかったが指導2を取られた」。初対戦の両者による最初の組み手争い。リネールの圧力につぶれ、わずか8秒で指導。1分すぎにも2つ目指導。余裕を持ったリネールはもはやリスクを冒さず逃げた。豪快な一本が柔道なら、これもまた柔道。5分の試合時間はほぼ組み手争いに費やされ両者が技に入る場面はほとんどなかった。

 山口・早鞆高に入学した頃はまだ1メートル77、66キロのひょろ長い体形。「弱くてやる気もなかった」。卒業後は柔道をやめるつもりで3年の時は就職クラスだった。しかし大きくなる体とともに周囲の期待は膨らみ、本人の意識も変わっていった。卒業する頃には1メートル90、100キロを超える体格になっていた。妥協せず練習にも取り組み、社会人1年目の昨年はついに全日本選手権を制覇。国際大会で7連続優勝も遂げ、国内3番手から逆転で五輪代表をつかんだ。

 試合終盤、消極的なリネールへのブーイングが飛んだ。王者は涼しい顔で受け流した。内容は指導1つの差だが展開は相手の思惑通りだった。畳を下りた原沢は顔をしかめ、うなだれ、肩を落とした。珍しいほどはっきりした落胆の色だった。「そんな大差はないと思うし、作戦で埋められる差。まだまだ今日は足りなかった」

 背中は見えた。だが、まだ遠かった。「いろんな人の重量級への思いは背負ってきたつもり」と日本重量級復活を宣言するために打倒リネールが必須なことも分かっていた。鷹揚とした雰囲気の中に隠し持った闘争心と責任感、そして伸びしろ。「まだまだ自分(の完成度)は半分を超えたくらい。これがいい経験になる」。変わらない表情のまま、原沢はリネールの背中をじっと見据えていた。

 ◆原沢 久喜(はらさわ・ひさよし)1992年(平4)7月3日生まれ、山口県下関市出身の24歳。日新中―早鞆高―日大。日本中央競馬会所属。6歳から柔道を始める。15年に全日本選手権、今年は全日本選抜体重別選手権を初制覇。昨年12月のグランドスラム(GS)東京、今年2月のGSパリなど国際大会で多数優勝。得意技は内股。1メートル91、123キロ。

 ▼日本男子の柔道100キロ超級 この階級でのメダル獲得は08年北京大会の石井慧(金メダル)以来。04年アテネ大会では鈴木桂治が金、00年シドニー大会では篠原信一が銀に輝いている

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