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【メダリストは見た】荒川静香 金藤、初五輪からの8年 思い伝わったインタビュー

[ 2016年8月13日 11:45 ]

200m平泳ぎで金メダルを獲得した金藤は笑顔でスタンドに手をふる

リオデジャネイロ五輪 競泳女子200メートル平泳ぎ 決勝

(8月11日)
 競泳女子200メートル平泳ぎの金藤理絵が、リオで見事に大輪の花を咲かせた。08年の北京五輪に出場しながら12年のロンドン五輪では代表を逃し、その後も度重なる挫折で何度も引退を決意。その度に困難を乗り越え、ついに悲願の金メダルをつかんだ27歳の頑張り屋に、06年トリノ五輪フィギュアスケート女子の金メダリスト、荒川静香さん(34)も自身の8年間をだぶらせ、心から祝福の言葉を送った。

 凄いレースでしたね。もうラスト50メートルはテレビの前で椅子から立ち上がって「行けー、頑張れー!」って叫んでしまいました。200メートルのレースであれだけ2位の選手に差をつけるなんてビックリ。もう最高でした。実は私も、3歳の時に最初に始めたスポーツは水泳だったんですよ。幼稚園の年長組の時にスケートと出合い、小学校に入るとやめてしまいましたが、私の肩幅が広いのは水泳をしていた頃の影響かもなんて思っています。

 レース直後の金藤さんのインタビューからは、8年間の思いが伝わってきました。きっと今はつらかった日々のことばかりが頭に浮かんでいるんでしょうね。私もそうでしたけど、終わった瞬間は「ここまでやってきてよかった」じゃないんですよ。「やめなくてよかった」と本当に感じるのはレースが終わってしばらくたってからなんです。順風満帆ではなく、つらいことがたくさんあったからこそそうなる。私も金藤さんと同じように最初の五輪から金メダルを獲るまで8年かかったし、その間に「もうこれで終わりだな」と思ったことが何度もありましたから。

 私は16歳の時の98年に長野五輪に初めて出場しました。当時は出られただけで満足で、世界と戦うなんて気持ちはほとんどありませんでした。実際、当時の日本のフィギュア界のレベルはその程度だったと思います。だから次のソルトレークシティー五輪を目指すに当たっての目標が何も湧いてこなかった。でも長野に出られなかった選手たちにとっては「五輪に出る」という明確な目標があったので、あやふやな気持ちの私が代表を逃したのは当然でした。

 そんな私の転機になったのは04年の世界選手権での優勝でした。その時は大学4年生だったので、そのまま引退してプロのスケーターとしてアイスショーに出るつもりでいました。ところが、2年後にトリノ五輪が迫っていたこともあり、周りの人たちは誰一人、本当に誰一人として私の背中を押してくれませんでした。そんなにみんなが反対するとは正直全然思っていなくて、それだけの反対を打ち破ってプロに進むだけの強い思いもまた私の中で固まっていなかった。もともと私はアイスショーで演技をすることが一番の目標だったんです。だから競技を続けようかどうか悩みました。ただ五輪に出るだけではなく本気でメダルを目指すなら、もっと大変な練習が待っているわけですから、なかなか踏み切れない。

 気持ち的に中ぶらりんの状態で翌シーズンも滑り続け、「何やってるんだろうな、私」と毎日考えるようになりました。自分がせっかく満足してやめられるチャンスだったのに、何であの世界選手権でやめなかったのかとかいろいろ考えましたね。それが吹っ切れたのが翌05年の世界選手権が終わった後でした。前年の優勝から9位に転落。その瞬間に、こんな中ぶらりんな状態で私は全然やりきっていないじゃないか、それならもう一度しっかり目標を決めてやりきって競技を卒業しよう、と気持ちが決まりました。うまくいかないことが続いたからこそ翌年のトリノ五輪で金メダルが獲れたんですよね、きっと。金藤さんも昨年の世界選手権で6位に終わり、そこから再スタートしたと聞きました。失敗した数だけ人間は成長する。金藤さんの泳ぎを見ていてあらためてその思いを強くしました。

 金藤さんはレース後、恩師の加藤コーチや周囲の人々の支援に感謝の言葉を述べていました。私も今ではプロ転向に反対してくれた人たちに感謝しています。私という他人のためにあんなに一生懸命反対してくれたのですから。そういう人たちが周囲にいるということは本当にありがたいことです。自分のためだとどうしても苦しいところでやめてしまうけど、支えてくれた人のためなら頑張れる。それがアスリートなんです。

 本当は金藤さんと一緒に渡部香生子選手にも表彰台に上がってほしいと思っていたので、それだけがちょっと残念でした。彼女の場合は、昨年の世界選手権優勝で早々と代表に内定したのが逆によくなかったのかもしれませんね。早く代表に決まった方が五輪に向けてじっくり調整できるからいいという人も多いですが、早く決まると「どのレースも負けられない」という気持ちになって逆に調整が難しい場合もあるんです。負けると「何で先に代表にしたんだ」と言われるので、それがプレッシャーになってしまったのかなという気がしますね。実際にフィギュアでも、先に内定した選手は調整が難しいという声を聞きましたから。

 でも、彼女はまだ19歳です。次の東京があります。私は24歳で金メダルを獲りましたし、金藤さんも27歳で夢を現実にしました。失敗は次に生かせばいいんです。金藤さんの素晴らしい泳ぎは渡部選手や他の若手スイマーに勇気を与えてくれたはずです。本当におめでとうございました。

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