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水谷隼 勝負を分けた第4ゲーム 技以上のメンタルで劣勢はね返す

[ 2016年8月13日 09:15 ]

サムソノフに打ち返す水谷(AP)
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リオデジャネイロ五輪卓球・男子シングルス3位決定戦 水谷隼4―1ウラジーミル・サムソノフ

(8月11日 リオ中央体育館)
 【松下浩二の目】勝負を分けたのは第4ゲームだった。第1、2ゲームを連取した水谷だが第3ゲームを落として2―1。次のゲームを落とすと、流れをサムソノフに奪われるところだった。だが、その第4ゲームでゲームポイントを3度も許しながらも追い付き、最後はロングラリーを制した。技術よりもメンタルの強さで、あれだけの劣勢をはね返したと言っていい。

 88年のソウル五輪から採用された卓球だが、男子ではこれが全種目通じて初のメダルとなった。私自身、現役時代は卓球に人生をささげて4度五輪にトライしたが、メダルには届かなかった。表彰式後、水谷から銅メダルを首に掛けてもらった。うらやましいという思い、先輩たちの思いをかなえてくれたという、うれしい思いでいっぱいだった。
 水谷を初めて見たのは、彼が中学2年生だった04年1月の全日本選手権だ。男子では史上最年少でジュニアの部を制したが、一目見て何十年に一人の逸材だと感じた。試合運び、ボールのタッチが桁外れにうまい。普通なら取れないようなボールもラケットに当てて返すなど、天性のものがあった。

 ただ、当時の日本は才能を伸ばす環境がなかった。彼のドイツ留学や中国リーグへの参加など、私も微力ながら手伝いをさせてもらったのも、あれだけの人材を育てるのは先輩の役割だと自覚していたからだ。世界選手権の男子シングルスでも日本人は1979年(小野誠治)を最後に優勝していない。銅だが先輩たちの悔しい思いを晴らしてくれたと感じている。

 水谷には31歳で迎える20年東京五輪も目指してもらいたい。年齢は問題ない。ただ、さらに上のメダルを狙うには、この4年間以上の努力が必要だ。中国人選手同士で争われた決勝は、準決勝までから格段にプレーの速さが上がった。スピードに慣れるには中国リーグに再び参戦し、中国人との試合に慣れることが必要だ。

 準決勝の馬龍戦では、ここ2年取り組んできた前陣でのプレーが通用せず、得意とする中後陣でのプレーに切り替えた第4ゲームから2ゲームを連取した。私自身、これまでは水谷本来のスタイルでは勝てないと思っていたが、金メダリストを苦しめたプレーを見て考えを改めた。今後は前陣でのプレーにも磨きを掛け、自分の強みに相手を引き込むようなスタイルに取り組んでほしい。(五輪4大会連続出場、97年世界選手権男子ダブルス銅メダリスト)

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