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金藤【父・宏明さんからの手紙】泣き虫 理絵ちゃんへ

[ 2016年8月13日 05:30 ]

リオデジャネイロ五輪 競泳女子200メートル平泳ぎ 決勝

(8月11日)
泣き虫 理絵ちゃんへ

 最高に感動したよ。もうホッとした。お母さんはリオに来てから会話が途中で止まるぐらい心配してました。届いてないかもしれないけど、心の声が届くかもしれないと思って必死で声を出しました。五輪も世界選手権も、今までメダルに届かなかったけれど、諦めず歯を食いしばり泳ぎ続けたね。父さんも母さんも、心を打たれました。
 最初はプールにプカプカ浮いて遊んで、小さい大会に出て梨をもらって大喜びしてたね。目標は3歳上の由紀お姉ちゃんに勝つことでした。5月のプール開きの後は水温20度以下でも泳いで凍えてたね。炎天下でも、雨が降っても、屋根のないプールで泳いで、暗くなったらコーチが車の照明を水面に当てて、その中でする練習も珍しくなかったですね。夜の迎えが遅くなった時は一人残って筋力トレしていたのには驚かされました。
 小学3年から通い始めた十日市水泳場は練習できるのが夏の4カ月だけだったから、中学になって地元に室内プールができるまでは、冬になると温水プールを求めて雪道を車で1時間走らせて島根県の羽須美村(現邑南町)まで行きましたね。古いプールだから室内をボイラーで温めながら水面を覆っているシートをはがして練習したのを覚えてます。先日10年ぶりに羽須美のプールをのぞいたら、屋根がビニールハウス=写真=に替わっていて、子供たちが元気に泳いでいました。外のプールはそのままで、梨をもらって喜んでいた昔を思い出しました。

 小学校の卒業文集に「めざすは、金メダル」と書いたね。小6で由紀のタイムを初めて抜いて喜んでいたけど、お姉ちゃんが高校で水泳をやめると知って、理絵がお父さんと乗ったスキー場のリフトで「お姉ちゃん水泳やめるんけ?」と聞いてきたから「由紀は陸上で勝負するんじゃが、理絵は水泳は嫌?」と聞き返したら首を横に振ったね。理絵の顔を見た時はここで水泳は終わりかなと思いました。それでも、中学で記録も伸びて、1年で県のジュニア選抜に入り、アスリートとしての理絵がスタートしたね。同時に負けては泣き、勝っても涙する「泣き虫理絵ちゃん」の始まりであったと思います。

 自分の意思で始めたから、グチも、泣き言も、「やめたい」の言葉も、お父さんには言えなかったようですね。それだけに、13年バルセロナの世界選手権で4位になった後に電話で「泳げん、もう辞めたい」と弱音を吐いた時は、まさかと思いました。「今はつらくても、続ければ結果は出る」。父さんはそうやって背中を押してみたけど、疲れた声で「頑張ったが結果は出んかった」と言った。励ましの言葉は理絵を追い詰めるだけで、最後は着信拒否までされました。お兄ちゃんお姉ちゃんに望みを託したが、あんな事になるとは想像しなかったです。

 13年11月28日、結婚を2日後に控えた由紀から「サプライズしてもいい?」と連絡があったので「どうぞ由紀の結婚式だから」と言って当日を迎えました。披露宴も終盤、B’zの「ウルトラソウル」が流れだした時は「これか」と思いました。バルセロナでメダルが獲れずに落ち込む理絵に、由紀は「4位でも理絵の泳ぎが多くの人に勇気と感動を与えた。胸を張っていいんだよ」と伝えたかったらしい。スクリーンに映る三次SCや東海大の仲間、加藤コーチからの「僕は理絵と一緒に世界で戦いたいんだ」という熱いメッセージもあったね。最後は「上には上がいる。それでもきっと、上を向くひまわりのように、いつも見守ってます」と書いた人生の金メダルを振袖姿の理絵の首に掛けたけど、理絵も父さんも涙でいっぱいでした。その後、水泳の話は一切できずに終わったけど、由紀に「いらん事をするから、泳がんといけんようになったがな」と憎まれ口をたたいて東京に帰ったと聞いて、うれしかった。

 目標に向かい長い道のりを、多くの人との関わりと支えによって歩んできましたね。その結果、今日のレースがあったのだと思います。ありのままの姿で最高のパフォーマンスを見せてくれてありがとう。父さん、母さんに応援する多くの楽しい時間をつくってくれたことに感謝しています。
お父さんより

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2016年8月13日のニュース