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金見えた!高橋、首位と0・60差の3位

[ 2010年2月18日 06:00 ]

男子しSPで自己ベストの90.25点をマークし、3位と好発進した高橋大輔

 金メダルがはっきり見えた。バンクーバー五輪第5日の16日(日本時間17日)、パシフィックコロシアムでフィギュアスケート男子ショートプログラム(SP)が行われ、高橋大輔(23=関大大学院)が完ぺきな演技を披露。自己ベストの90・25点をマークして、首位に立った06年トリノ五輪金メダリストのエフゲニー・プルシェンコ(27=ロシア)と0・60点差、2位のエバン・ライサチェク(24=米国)とは0・05点差の3位につけた。18日(同19日)のフリーで、フィギュア日本男子初の頂点を狙う。

【男子SP結果】

 突き上げた右の拳が満足感の証だ。完ぺきな滑りを披露した高橋に大歓声が降り注ぐ。自己ベストの90・25点は首位プルシェンコと0・60点差の3位。日本男子初の表彰台どころか金メダルがはっきりと見えてきた。
 「今シーズンで一番いい演技ができた。この大舞台で大きなミスなく滑れてお客さんも沸いてくれたんで、勢い余ってガッツポーズが出た」
 「男性の色気と力強さ」がテーマのSP。冒頭の3―3回転を決めて波に乗ると得意のステップで観衆の手拍子を誘った。表現力が問われる5項目の演技点でも、技のつなぎを除く4項目で8点台の好スコアを並べた。
 「緊張感が凄くあったけど足が震えることもなかったし、変な緊張はなく本番を迎えられた」
 初出場のトリノ五輪では、SP前日は一睡もできず、フリー当日の朝は大好物のチョコクロワッサンをのみ込めないほど緊張感に襲われ8位に沈んだ。失意とともに記憶に残ったのは女子を制した荒川静香さんの姿。「リラックスして本当に五輪を楽しんでいる感じがした」。1月31日のバンクーバー入り後、トリノの女王を参考に自然体で調整を続けてきた。
 大ケガを克服した。08年10月31日の練習中、トリプルアクセルで着氷した際に右ひざを負傷した。右ひざ前十字じん帯断裂および内側半月板損傷。再起も危ぶまれる重傷だった。母・清登(きよと)さん(60)に電話し「ケガした。駄目になった」と弱音を吐いた。
 主治医からは「再び断裂したら元に戻すことは困難」と言われた。五輪まで1年4カ月。「100%で戦わないと五輪では勝てない」。病院のロビーで手術を決断した。同11月26日、ひざ裏から腱2本を移植した。約1カ月で退院した後も通院して午前9時から午後6時まで走ったり自転車をこいだり。痛みに耐えてメニューをこなした。
 過酷なリハビリに嫌気がさして09年2月、失跡した。中学時代から指導する長光歌子コーチ(58)がアパートを訪ねても不在。電話にも出ない。1週間“行方不明”になった。周囲が心配する中、高橋は自分と向き合い「自分にはスケートしかない」と気付いた。
 リハビリを再開すると地道なトレーニングにも取り組み筋力や柔軟性も向上した。09年4月に氷上練習を再開。同10月のフィンランディア杯(フィンランド)で実戦復帰した。「ケガして手術したことがすべて五輪につながった」。SPでも右ひざでジャンプを成功させ、最後は右ひざを折り曲げたスピンで締めた。
 18日のフリーでは今季一度も成功していない4回転トーループに挑む。男子SP上位選手による会見では「何があっても4回転を入れる」というプルシェンコの隣で、長野大会以降の五輪優勝者がすべて4回転を決めていることを引き合いに出し「人それぞれ違うが、僕には必要」と言い切った。名作映画「道」のテーマで舞う運命の4分30秒。高橋が金メダルロードを真っすぐに突き進む。

 ≪滑走順“好抽選”最終組22番≫男子フリーの滑走順が16日抽選の結果決まり、SP3位の高橋は最終第4組の22番目となった。首位のプルシェンコは最終24番目、2位のライサチェクは19番目。メダル争いのライバルの演技を見てから滑るプルシェンコがやや有利だが、高橋が高得点をマークすれば前回王者に重圧をかけることができる。

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2010年2月18日のニュース