G1周年記念競走展望

【G1尼崎センプルC】中道善博 名腕が斬る!番外編

[ 2013年5月29日 06:00 ]

 尼崎には忘れられないことがあります。あの平成7年1月17日の阪神大震災。私は尼崎の選手宿舎にいました。もの凄い揺れで目を覚まし、うずくまって布団をかぶったまま一歩も動けませんでした。同部屋の安岐(真人)さんも同じでした。後で安岐さんは「死ぬかと思った」と言ってましたが、私も同じでした。

 屋上に上がって周囲を見渡すと、あっちこっちで火柱と煙が。信じられない光景でした。テレビは映らないし、電話もつながらないので外からの連絡はないし、こちらは何も分かりません。

 競技委員長が宿舎に来たのは夕方になってからでした。委員長も身動きが取れなかったのです。午後4時ぐらいだったですか…。委員長からレースの中止と開催打ち切りを知らされました。

 兵庫と大阪の選手はタクシーで帰りましたが、我々は宿舎を出ることができません。委員長から「きょうは酒OK」と許しが出てビールとウイスキーを食堂のお兄さんに頼んで買ってきてもらいました。お金は賞金王で優勝したばかりということで私です(笑い)。後にも先にも選手宿舎で酒を飲んだのは、この時だけ。だから、忘れられません。翌日、徳島まで臨時便の飛行機で帰りました。

 震災があった日は4日目で私が得点トップだったんですよ。当時の新聞を見せてもらいましたが、私のエンジン評価が◎◎でした。それで思い出しました。賞金王を勝った時のペラが地震で壊れたんですよ。あの頃は持ちペラが好調で“賞金王ペラ”は予備ペラ用の棚に置いてました。エンジン番号が番で上の方の段だったので倒れた棚の下敷きになったのです。

 よく覚えてなかったのですが、次の年の周年は私が優勝してるんですよね。3コースから捲って流れて2マーク差し。2着が関戸(保生)クン、3着が大井(崇夫)クン。2連単は1750円でした。1号艇の西島(義則)クンが飛んだので3連単があったら間違いなく“万”だったでしょうね。

 尼崎は記念の優勝がその1回だけ。スタート練習と本番で風の向きが変わったりするし、向かい風が多くてセンター、アウトが強い水面だったので好きではなかったですね。待機行動も厳しかったし…(笑い)。まだ気は早いですが、来年の総理杯は尼崎で開催されます。私も時間を見つけてセンタープールをのぞいてみようと思っています。

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