ディープインパクト急死 武豊駆け付け別れ、さらば英雄

[ 2019年7月31日 05:30 ]

06年の天皇賞・春、飛ぶように走ったディープインパクト
Photo By スポニチ

 平成の競馬シーンに強烈なインパクトを残した“英雄”が天へと旅立った。現役時に無敗のクラシック3冠を含むG1・7勝を挙げたディープインパクトが30日午前6時40分、けい養先の北海道安平町の社台スタリオンステーションで頸椎(けいつい)骨折のため安楽死処分となった。17歳だった。空を飛ぶような独特の走りで通算14戦12勝を挙げ種牡馬としても多数のG1ホースを輩出してきた歴史的な名馬。主戦の武豊(50)は真っ先に駆け付け、愛馬の馬房に手を合わせた。

 突然のディープインパクトの悲報を、主戦の武豊は28日に札幌で騎乗後も滞在していた北海道で知った。新千歳空港で搭乗する直前。連絡が数十分遅ければ機上の人だった。目に見えない力が働いたのか…。予定便を急きょキャンセルし、ディープの担当装蹄師だった西内荘氏と共に社台スタリオンステーションへ急いだ。

 「体調が良くないと聞いていたので心配していたのですが、残念です」。ディープインパクトは病理解剖のため、既に別の場所に運ばれており対面はかなわなかったが、主を失った馬房に向かって手を合わせた。

 英雄に異変が起きたのは、今年の種付けシーズンが始まった直後の2月18日。突然、首と腰の状態が悪化した。そのため、残りシーズンの種付けは行わず、今年は20頭前後の種付けで中断。来年に備える形で治療を続けてきた。その中で、今月28日に患部の頸椎を固定する手術を行った。麻酔から覚めると草を食べて動き回ったが、翌29日に容体が急変。立ち上がれなくなり、手術箇所と異なる頸椎に骨折が判明。回復は見込めないと診断され、安楽死の処置が取られた。

 同スタリオンの徳武英介氏は「元々は骨折しておらず、手術も成功。半日の間に何があったのか…。獣医師も“見たことがない”と言っている」と説明。常識を覆す走りを見せた現役時と同様、普通ではありえない形でこの世を去った。

 圧倒的な強さを誇った同馬だが、06年凱旋門賞では1番人気に推されながら3着に敗れ、後に禁止薬物が検出されて失格となった。ただ、武豊は「今でも世界一強い馬だと思っている」と話す。さらに「ディープの乗り味を知っているのは僕だけ」と、全14戦で手綱を取ったことは生涯消えることのないプライドだ。

 「私の人生において本当に特別な馬でした。彼には、ただただ感謝しかありません」と武豊。記録にも記憶にも残るサラブレッド界の英雄。不朽の蹄跡を残し、天国へ飛び立った。

 ▼西内荘氏(ディープインパクトの装蹄師)自分の装蹄人生を変えてくれたディープには感謝しかない。

 ◆ディープインパクト 父サンデーサイレンス 母ウインドインハーヘア(母の父アルザオ)栗東・池江泰郎厩舎所属 馬主・金子真人ホールディングス株式会社 生産者・北海道安平町ノーザンファーム 02年3月25日生まれ 鹿毛 戦績14戦12勝(うち海外1戦0勝)JRA総獲得賞金14億5455万1000円(付加賞含む)。05年と06年にJRA賞年度代表馬。08年に顕彰馬(殿堂入り)に選定される。

続きを表示

この記事のフォト

2019年7月31日のニュース