伊藤正師“名より実” 個性伸ばし将来に責任を持つ

[ 2019年1月23日 05:30 ]

伊藤正徳師
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 調教スタンドから双眼鏡を向けていた伊藤正師が少しだけ口元を緩めた。視線の先には角馬場を周回する3歳牝馬のレディードリー。「だいぶコントロールが利くようになってきた」。期待の管理馬が全休日明けの調教を終えて視界から消えると、昔と変わらぬ熱弁を振るった。「桜花賞に行ける素質を持っているんだ。ただ、気持ちが凄く高ぶりやすい。こういう馬は追い込まないこと。時間をかけて階段を1段ずつ上らせるしかない」。桜花賞時には自らの手から離れてしまう管理馬だが、春への期待がほとばしる。名より実。引退前の2月には重賞へ向かわず、自己条件500万に出走するという。「馬の個性を伸ばすのが調教師なら、馬の将来に責任を持つのも調教師」。近代競馬の礎を築いた故・尾形藤吉氏(元調教師)の愛弟子として、尾形一門をリードしてきた調教師の矜持(きょうじ)である。

 岡部幸雄、柴田政人、福永洋一らと共に64年、馬事公苑・騎手養成(長期)課程に入った“花の15期生”。77年にはラッキールーラで父・伊藤正四郎とのダービー父子制覇を達成した。「柴田や岡部と肩を並べられるような成績ではないが、ダービーは彼らよりも先に勝てた。大きなケガをしたこともないし、運が良かった」。87年、同期に先駆けて38歳で調教師試験に合格すると、99年にはエアジハードで安田記念、マイルCSを制した。

 騎手時代からの長い経験に科学的なアプローチも加えた調教法からニックネームは“馬博士”。ここ数年は勢いを加速する大手法人クラブのイエスマンになれず、預託馬に苦心したが「成績が上がらない馬でもどこかにいいところがある。そこを伸ばしたい」と孤軍奮闘してきた。桜花賞を目指すレディードリーも時間をかけた調教でデビュー4戦目に初勝利を挙げた“最後の教え子”だ。

 「毎日、馬の尻を追いかけるので精いっぱいだった。もっと馬の持てる力を発揮させられたのではないか…そんな思いの連続だった」。双眼鏡を目から外すと静かに笑った。

 ◆伊藤 正徳(いとう・まさのり)1948年(昭23)10月22日生まれ、兵庫県出身の70歳。66年に東京競馬場の尾形藤吉厩舎で騎手候補、68年騎手デビュー。騎手時代は2115戦282勝(重賞17勝)。77年日本ダービーをラッキールーラで優勝。87年に調教師免許取得。88年3月5日、東京競馬のトーヨーテイオー(11着)で初出走。同年5月15日、新潟競馬のエイコーフィバー(延べ19頭目)で初勝利。95年と96年に優秀調教師賞(関東)。JRA通算6143戦517勝、同重賞22勝。

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