【根岸S】ラブバレットの悲願 菅原勲師「人馬一体」で成す

[ 2018年1月24日 05:30 ]

ラブバレットに付きっきりでまたがり調整する菅原勲師(右は笹野厩務員)
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 今週から冬の東京がスタート。開幕週メインの「第32回根岸S」には、公営・岩手のラブバレットが昨年(10着)に続き2度目の参戦だ。美浦トレセン滞在中は、騎手時代に「岩手の名手」として名をとどろかせた菅原勲師(54)が付きっきりで稽古に騎乗。目下6連対中と昨年以上の充実ぶりで、悲願のダートグレード制覇へ向け爪を研いでいる。

 岩手の雄に付いてきたかのように、冬将軍が関東に到来した前日22日。美浦でも20センチ超の積雪があり、この日の朝は初見の景色や落雪の音に驚く馬が見られた。だがラブバレットは慣れたもの。菅原師を背に雪の中を悠然と歩く姿は、地方所属馬という引け目を感じさせない。冬毛の伸びもなく、筋肉が浮かび上がる馬体を見つめながら菅原師は目を細める。

 「6歳の一年で馬がずっとずっと成長した。特に精神面。16年に続き遠征して全国でもまれたことがいい方に出た。22日も坂路に行って動きは良かったし、具合は昨年以上」

 各地の強敵やJRA馬を相手に全国行脚。16年と17年の成績を比較すると、もう一段のパワーアップは明らかだ。かきつばた記念6→5着、さきたま杯7→5着を皮切りに、クラスターC3→レコード決着2着、兵庫GT4→2着と悲願のダートグレード制覇まであと一歩に迫った。

 18〜28日は2度目の美浦滞在。昨年は主戦・山本聡や堀厩舎で研修していた高松(ともに岩手所属)が調教を担当したが、今年は2人が南関東で期間限定騎乗中。そのため菅原師自らが付きっきりでまたがる。騎手時代の99年フェブラリーSでメイセイオペラと共に地方馬初のJRA・G1制覇をやってのけた名手が寸分の狂いのない調整を施す。

 レースは松岡と初コンビ。山本が南関所属中で規定(出走馬の所属場またはJRAの騎手のみ騎乗可)により騎乗できないための代打。「入厩初日と25日の最終追いに乗ってもらい感触を確かめてもらう。癖はないので思い切って乗ってほしい」と手綱を託す。

 昨年は好位3番手から坂下まで手応えが良かったが10着。「ペースが速く、上位は最後方から伸びた馬。展開を考えればやれる手応えはあった」と振り返る。

 「前走の兵庫GTは行き脚がつかず自分の形ではなかったが、それで2着に来たのは収穫。すんなりならもっとやれる。今年は昨年よりペースが遅くなりそう。2、3番手で後ろを見ながら、どこかで緩めて直線に入れれば。状態がいいだけに楽しみ」

 かつて“イサオコール”を起こした思い出の府中で今年こそ。岩手の名手が悲願のタイトルを打ち抜かんと“弾丸”に熱を込める。

 ◆メイセイオペラ 父グランドオペラ 母テラミス(母の父タクラマカン)牡。94年6月6日、北海道平取町・高橋啓氏生産。3歳7月に岩手・水沢競馬の佐々木修一厩舎からデビュー。菅原勲騎乗で東北ダービー、不来方賞の岩手4歳2冠を制覇。4歳秋以降は同コンビでダートグレードに参戦し、98年南部杯、99年フェブラリーS、帝王賞のG13勝を挙げた。JRA・G1を制した唯一の地方馬。35戦23勝(菅原とのコンビでは25戦17勝)。00年12月に引退後は種牡馬になり、06年に韓国へ輸出。11年には産駒のソスルッテムンが内田利雄(現浦和)騎乗で韓国の皐月賞に当たるKRAカップマイルを制した。16年7月1日、韓国で心不全で急死。一周忌の17年7月1日に水沢競馬場に記念碑が建立された。(年齢は当時の表記)

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