【有馬記念】ブラック生産の梁川氏「無事帰ってきてくれれば」

[ 2017年12月18日 05:30 ]

牧場事務所に飾られるキタサンブラックの天皇賞・春の優勝レイを前に笑顔を見せる梁川正普代表
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 【キタサンブラックと私】有馬記念で引退するキタサンブラック。ラストランでのグランプリ戴冠に向かう歴史的名馬と共に歩み続けてきた人々の証言「キタサンブラックと私」でその知られざる真実に迫る。第1回は生産したヤナガワ牧場(北海道日高町)の梁川正普代表。

 12年3月10日。キタサンブラックは北海道日高町の老舗ヤナガワ牧場で生を受けた。父ブラックタイドは重賞1勝馬でありながら、G1・7勝を挙げたディープインパクトの全兄という血統背景が評価されて種牡馬入り。母シュガーハートは05年に同牧場で生まれたがデビュー前に屈腱炎を発症し未出走のまま繁殖入り。3代目の梁川正普代表(47)はブラック誕生時の印象について「形がいい子が出たなという程度の印象で、ごくごく普通の馬でした」と振り返った。

 北島三郎オーナーとブラックとの出合いは1歳の時。2代目・正克さんの時代から半世紀以上の付き合いがあったこともあって、当歳時から「いい馬がいますよ」と声を掛けていた。実際に馬を見たオーナーは「いい顔をしている。俺に似て脚も長い」と気に入り、購入を決断。病気もケガもなく順調に育ち、1歳秋までをヤナガワ牧場で過ごした。

 積み重ねたG1タイトルは6つ。梁川代表にとって最も思い出深いレースは菊花賞。「一つだけ挙げるのは非常に難しいですが、クラシックですし最初のG1でしたから。どのレースも“こんな勝ち方もできるんだ”と驚かされてばかりでした」

 引退後は社台SS(北海道安平町)での種牡馬入りが決まっており、今は所有する繁殖牝馬との配合を考えることが楽しみだという。毎年7000頭近いサラブレッドが生産される中、再び馬産地に戻り、生き残れるのは、ほんの一握り。「種牡馬の世界も厳しいですから。頑張っていい馬を送り出してほしい」とエールを送る。

 いよいよ迎えるラストラン。梁川代表は中山で見届ける。「これだけ勝って、楽しい思いをいっぱいさせてもらいました。もちろん勝ってもらいたいですが、負けたとしてもケガなく無事に帰ってきてくれれば」。最後まで優しく温かい“親心”をのぞかせていた。

 ◆梁川 正普(やながわ・まさひろ)1970年(昭45)7月4日、北海道生まれ。大学卒業後、ノーザンファームからアイルランド、米国の牧場研修を経て祖父の代から続くヤナガワ牧場を引き継ぐ。

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