園田の名伯楽、69歳の橋本忠男元調教師 大学受験へ「ずっと勉強したかった」

[ 2017年1月31日 19:09 ]

勇退記念の酒を手にした園田競馬元調教師・橋本忠男氏
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 調教師から大学生へ―。1月4日限りで勇退した兵庫県・園田競馬の元調教師・橋本忠男氏(69)が、大学受験にチャレンジする。大学卒業後にサラリーマンを経て競馬界へ。園田の名伯楽としてならした橋本忠氏が、今度は学問の道を極めに行く。

 「終わってみれば短かったか。とにかくホッとしたね」と話し始めた橋本忠氏。通常、午前零時に始まる園田競馬の調教から解放され、ひと息ついた。20日から26日までハワイへ1人で旅行し、英気を養った。いつもは夫人同伴で日本語が通じる所へ行くが、今回は「日本語の通じない地元の人しか行かない所へ行きたい」。雨の多い1週間だったが、子供の頃から旺盛だった好奇心を満たし「命の洗濯ができた」と喜んでいた。

 今後は馬主として競馬界に貢献していくつもりだが、新たな目標も掲げた。「ずっと勉強したいと思ってた。法律や経済学やいろいろ。シルバー学校というか、大学に行きたいね。英語や中国語など語学もやりたい」。来年にも大学を受験して「先生」と呼ばれる調教師から「学生」への転身をはかることを決めた。

 14年10月に亡くなった父・有慈男氏は調教師だった。弟の和男氏(64)も14年3月まで調教師。長男の忠明氏(40)も13年に開業した。競馬一家の長男として育った橋本忠氏は子供の頃から馬の世話をしていた。関大一中、関大一高から1970年、関大法学部へ。大学入学後も、当然のように早朝から調教の手伝いをしてから通学した。優秀な成績で大学卒業後はメーカーに就職し、9年間は営業マン。ここでもトップセールスマンとして活躍し「別の道でもやれる」と自信をつけ、父、弟と同じ競馬界へ転身した。当時は調教師試験も難関で、初めて挫折を味わいながら10回目の挑戦で合格。87年に開業して通算1374勝、重賞52勝の記録を作った。

 「息子(橋本明師)には私にないチャレンジ精神がある。終わった時に“良かったな”と思えるよう頑張ってほしい」息子へエールを贈り、自身は大好きだった学問の道へ進む。

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2017年1月31日のニュース