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ふりむけばいまも喝采がきこえる…凱旋門賞とサクラローレル

 【鈴木誠治の我田引用】10月2日にフランスで行われた世界最高峰の競馬レース、凱旋門賞で、マカヒキが14着に敗れた。延べで20頭目の日本馬の凱旋門賞挑戦で、悲願のタイトルには、またも届かなかった。

 「国内で発売された馬券では1番人気で、日本のファンの期待も大きかったけどね」

 そう話し掛けると、女勝負師のスゥちゃんは、「海外のレースは難しいからね」と答えたあとで、こうつぶやいた。

 「ローレルが走っていればね…」

 美しい栃栗毛を持つサクラローレルは、スゥちゃんが最も好きだった馬だ。1996年に天皇賞、有馬記念を制して年度代表馬となった。翌97年、凱旋門賞挑戦のためにフランスに渡ったが、前哨戦のフォワ賞で右前脚を負傷し、凱旋門賞出走を断念して、そのまま引退した。

 「ローレルなら、いい勝負をしてくれたと思うよ。瞬発力はそれほどでもなかったけど、長いスパートを走りきるスタミナと、勝負根性があったからね」


 ふりむけばいまも喝采がきこえる 戦っている自分がみえる

 ふりむけば倒れてゆくあいつの顔が見える 同じ夢に賭けたあいつの美しい無念が見える

 競馬好きで知られた劇作家、寺山修司氏の詩「戦士の休息」の中の一節だ。

 凱旋門賞で日本馬が敗れるたびに、馬場の違いが敗因として挙げられる。ゴルフで言う「グリーン」に例えられる日本は、硬くて芝が短い高速馬場。「ラフ」に例えられる欧州の馬場は、力強さと体力が求められるという。欧州の血統を持ち、欧州馬場向きの力強さがあったサクラローレルは、期待されながら、舞台に立つこともできなかった。

 スゥちゃんの無念は、それだけではない。高速の馬場に対応するため、瞬発力がある米国系の血統が全盛となった日本で、サクラローレルのような血統の馬は、次々と姿を消していったという。

 「だから、ローレルなら…って、余計に思ってしまうんだけどね」

 97年当時、凱旋門賞に出走経験があった日本馬はたった3頭で、結果はすべて10着以下。日本のレベルが上がった現在とは状況が違うが、そんな時代でも、サクラローレルは少なくとも、夢を抱かせてくれる馬だった。ため息をついたスゥちゃんは、こう言った。

 「まあ、一つ一つ、積み上げていくしかないんじゃないかしら」

 寺山修司氏は「戦士の休息」をこう締めた。

 人生は終わりのないロードワーク 何一つ終わったわけじゃないのさ

 そして「さらばハイセイコー」という詩の中では、こんな言葉も残している。

 ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない

 凱旋門賞と聞いて、出走すらかなわなかった悲運の名馬を思い出す人は少ないだろう。そのサクラローレルの夢をも背負って、日本のホースマンの悲願に向けた戦いは続いていく。

 ◆鈴木 誠治(すずき・せいじ)1966年、静岡県浜松市生まれ。立大卒。ボクシング、ラグビー、サッカー、五輪を担当。軟式野球をしていたが、ボクシングおたくとしてスポニチに入社し、現在はバドミントンに熱中。

[ 2016年10月7日 09:00 ]

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