オートレーサー片平巧さん急死、49歳 SG歴代2位15勝のカリスマ

[ 2015年5月21日 05:30 ]

01年スーパースター王座決定戦を制した片平巧さん

 オートレース界のカリスマ的存在として90年代後半を中心にトップクラスで活躍、高橋貢(20V)に次ぐ歴代2位、SG15Vを挙げた船橋オート所属の片平巧さんが20日、死去した。49歳。死因は明らかにされていない。埼玉県出身。通夜、告別式は親族のみで執り行う。

 85年、20歳でプロデビュー。90年には日本選手権を完全優勝し、早くから非凡な才能を見せつけた。93年10月に導入された現在の使用競走車である「セア」をいち早く乗りこなし、ライバルを次々撃破。無敵のイン走法で95~98年にSGスーパースターを4連覇するなど大活躍。“セアの申し子”と呼ばれ、98年にはグランドスラム(SGレース全制覇)を達成した。

 しかし、01年1月にスーパースター5Vを達成してからはSG優勝から遠ざかり成績が下降。さらに、最近では出場予定のレースを直前で欠場するなど周囲も心配する不安定な状態が続いていた。腰痛に悩んでいたという声もある。それでも、今月9日開幕の地元船橋オートG1「第39回黒潮杯」では44日ぶりに実戦をこなし、初日から4、6着。成績こそ振るわなかったが元気な姿を見せていた。しかし、11日の3日目以降はまたしても欠場(理由は身体不良)。結果的に、このシリーズが片平さんのラストレースとなった。

 G1レースが行われている浜松オートでは片平さんと同じ船橋オート所属の選手も出場中。船橋所属の看板レーサー・青山周平は突然の訃報に「えっ?いつ亡くなられたんですか?」と言葉を失うなど、選手間にも動揺が走った。

 ◆片平 巧(かたひら・たくみ)1965年(昭40)6月14日、埼玉県出身。船橋支部所属。85年6月27日登録の19期生。同期は岡部聡、須賀学、梅内幹雄ら。通算80V(SG15、G1・16Vを含む)。生涯獲得賞金は16億1683万5237円。1メートル65、55キロ。血液型A。

 【片平巧さん伝説】

 ☆7人抜き 97年スーパースター王座戦。ただ1人10メートルのハンデを背負ったが、実に7人を抜き去り同レース3連覇。

 ☆3強 「鉄人」島田信広、「絶対王者」高橋貢とともに98~00年頃にかけて3強と呼ばれ、時代をけん引した。3人は常に厳しいハンデを課せられたが克服してVを重ねた。

 ☆雨は鬼門 なぜか雨走路になると強さ半減。理由は不明だが「雨が降ったら片平は切り」はファンの常識だった。

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