M・デムーロ、夢を諦めず来日 通年騎乗目指したその理由とは!?

[ 2015年2月24日 09:00 ]

ネオユニヴァースでダービーV。涙するミルコ・デムーロ

 今週末の日曜・3月1日、遂にクリストフ・ルメール(35=フランス)とミルコ・デムーロ(36=イタリア)の2人が、JRA所属の外国人ジョッキーとして“デビュー”する。日曜阪神のメーン「第59回阪急杯」ではM・デムーロがダイワマッジョーレ、ルメールがオリービンに騎乗する。母国の競馬に別れを告げ、日本での通年騎乗を志した理由とは!?

 94年に見習騎手としてデビューしたミルコ・デムーロはデビュー4年目の97年、18歳にして早くもイタリアリーディングを獲得する。その後、00年まで4年連続でトップの座を守り抜き、“若き天才”の名をほしいままにしていた。まだ訪れたことすらない日本に興味を持ったのは、その頃だった。トニービンやホワイトマズルなど自国で実績を重ねた名馬が、種牡馬として日本に輸出されていたからだ。

 「どんな国なのか、自分で行って確かめたいと思ったんだ。そこでJRAに“日本で乗せてほしい”と手紙を書いたんだけど、“若すぎるからダメ”という理由で許可が下りませんでした」

 しかし、それで諦めるミルコではなかった。パリで偶然知り合った社台ファームの吉田照哉代表と森秀行師のサポートもあって、翌99年にはJRAの短期免許を取得。それ以後は毎年のように来日して、着実に勝利を積み重ねた。01年にはミスズシャルダンで小倉大賞典を勝ち、JRA重賞初制覇。そして03年にはネオユニヴァースとのコンビで大ブレーク。皐月賞でJRAのGIを初めて制すると、外国人騎手として初のダービージョッキーにもなった。「イタリアのダービーを5回勝つよりも、日本のダービーを1度勝つ方がうれしい」と感激の涙を流した。

 ミルコが日本の競馬を愛するのは高い賞金体系だけが理由ではない。「スローばかりのイタリアと違って、日本競馬はいろんなペースのレースがあるから、騎手としての感性が磨かれるんだ」。母国の競馬は賞金の支払いが遅れるなど、危機的な状況が続いている。騎手としてより良い環境を求めるミルコが、日本での通年騎乗を求めるのは当然の成り行きだった。

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