【凱旋門賞】2着2度の二ノ宮師 ラビット計算しないと勝利ない

[ 2013年10月1日 06:00 ]

二ノ宮敬宇師

 ついに手が届くところまできた日本馬での凱旋門賞制覇。エルコンドルパサー、ナカヤマフェスタの2頭でともに2着した二ノ宮敬宇師(61)が“あのシーン”を振り返った。

 二ノ宮厩舎の事務室には額縁に収めた仏競馬専門紙パリチュルフが2枚飾られている。1枚はエルコンドルパサーが日本調教馬初の欧州G1制覇を達成した99年サンクルー大賞翌日の紙面。続くフォワ賞も快勝し、渡仏4戦目で挑んだ凱旋門賞では半馬身差2着に入った。もう1枚はナカヤマフェスタが頭差2着に善戦した10年凱旋門賞を報じた紙面。着順こそ同じだが、二ノ宮師は11年の歳月に大きな変化を感じている。

 エルコンドルパサー以前の日本調教馬は凱旋門賞で全く歯が立たなかった。69年スピードシンボリ10着を皮切りに、72年メジロムサシ18着、86年シリウスシンボリ14着…。「フランスの馬は走り方も筋肉の付き方も日本馬と違う」。事前の現地視察でその差を目の当たりにした同師はエルコンドルパサーを大一番の半年前にフランス入りさせた。長期滞在で欧州仕様の馬体につくり替える試み。「のめって調教にならない。レースどころじゃないぞ」。渡仏直後はくるぶしまで埋まる欧州独特の深い芝に戸惑い、バランスを崩すだけだったが、やがてフランス馬と見分けがつかない体つきに変貌していく。凱旋門賞前日には「攻めに攻め、分厚くなった前駆が芝をがっちりつかまえている。欧州型の走りになった」と語った。

 それから11年後。ナカヤマフェスタは頭差の大接戦を演じ、タイトルに最も近づいた。カイバや飲み水の手配から航空会社のストールを調達しての搭乗練習に至るまでエルコンドルパサーのノウハウを生かしたが、フランス滞在はわずか2カ月。長期の馬体改造計画を立てなくても日本調教馬は欧州で通用するレベルに達していた。

 夢の扉をこじ開けるのに一番大切なものとは…。「緻密な作戦だ」と二ノ宮師は言う。たとえば、ラビットと呼ばれるリードホース。欧米の有力馬主は勝たせたい馬に誘導馬を付ける。日本にはない競馬の習慣。エルコンドルパサーもかく乱された。敵のラビットにまで作戦を張り巡らせておかなければ凱旋門賞は獲れない。「やり残したことがあるんだよ」。師は額縁に収めたパリチュルフを見上げた。届きそうで届かない夢には続きがある。

 ◆二ノ宮 敬宇 (にのみや・よしたか)1952年(昭27)9月5日、神奈川県出身の61歳。橋本輝雄厩舎の助手を経て90年に開業。JRA通算5675戦593勝(重賞24勝)。G1は4勝。

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2013年10月1日のニュース