競艇ヒーロー伝説
今村豊の巻
見放された12年。今村豊を支えたものは”努力”にほかならない。デビュー当初から天才の名をほしいままにしてきた今村は1992年浜名湖のモーターボート記念を最後にSGタイトルから遠ざかる。その間、実にSG優勝戦17連敗の不名誉な成績も記録した。しかし12年で17回のSG優出はトップ選手のあかしでもある。ただ”優勝”の2文字だけが遠のく。
2004年を迎え、最初のSG福岡総理大臣杯は今村にとってSG出場100回目の記念すべき大会だった。前年の秋口から好調を維持。1月には唐津のG1も制し上昇気配で福岡に乗り込んだ。しかし鬼門のSG、またもやエンジンに見放された。初日は機力不足ながらも1着、2日目も3、3着とまとめていたが「回ってから押す力がない」。テクニックでは着はごまかせても優勝するまでには厳しいと誰よりも今村本人が感じていただろう。
連日の整備で上積みを狙うがなかなか功を奏さない。それでもいくらか上向き、準優進出を果たす。状況は厳しいままだが、可能性がある限りあきらめない。それが今村でもある。その気持ちがツキを呼び準優1着で優出。1号艇をゲットしたが「本当なら喜ぶところだけど、正直困る」機力のなさを正直に表現した。
不安を残しながらも「好きな言葉は努力です」と常に語る今村は優勝戦当日、異例ともいえるシャフトの交換に出た。威張れるほどの足ではないが、わずかな差が大一番では勝敗を分ける。
もちろん1号艇ならコースを譲ることはない。インからこん身の07スタートも外からさらに速いスタートで横沢剛治と高橋勲が襲いかかり、バックで先頭を奪われ3番手。しかしその両者にフライングコール。今村は先頭に躍り出た。スタンドに響く大歓声。多くのファンが待ち望んだ瞬間だ。
「本当に12年間長かったですから・・・」その間、周りの雑音もあっただろう。病との闘いもあった。その中であきらめずに、ひたむきに競艇に取り組んだ12年間。「何事もあきらめなければこういう結果になるんだ」。技量だけでは成し得ない12年ぶりの優勝はまさに心技体。それは見放した勝利の女神が今村の”努力”に根負けしたかにも見えた。
[ 2005年03月21日 07:51]

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