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【3】バンド活動にのめり込んだ60年代後半
さくま少年がバンド活動にのめり込み始めた60年代後半は、グループサウンズ全盛期。あこがれたのが「ザ・タイガース」。たださくま氏の場合、あこがれの対象は沢田研二らバンドメンバーではなく、作曲を手掛けていた「すぎやまこういち」氏だった。この人への思いが「さくまあきら」の名前を生み出すことになる。
すぎやま氏はフジテレビのディレクターとして活躍。「ザ・ヒットパレード」や「新春かくし芸大会」などの番組を手掛けるだけでなく、自ら作曲もこなした。この頃すぎやま氏はフジテレビを退社。フリーディレクターを経て、作曲家への華麗なる転身を図っている最中だった。
「バンドでも“すぎやまこういち”先生の作った曲ばかり歌っていた。自分で作詞・作曲もやったけど、その時のペンネームが“さくまあきら”。ひらがなにしたのはもちろん、すぎやま先生の影響です」。
後々この2人はゲーム界(すぎやま氏は「ドラゴンクエスト」シリーズの作曲、さくま氏は「桃太郎電鉄」シリーズのゲーム作家)で名をはせるだけでなく、私的にも“グルメの弟子”として交流することになる。
また、さくま少年がすぎやま氏の母校・武蔵丘高(旧都立二十一中学校)へ進学したことで、2人の関係は21歳違いの「先輩・後輩」にもなった。ちなみにすぎやま氏の同級生には、前東京都知事で放送作家の故青島幸男氏も在籍。「武蔵丘高ともう1校私立の高校も合格してたんだけど、わたしは『クレージーキャッツ』のファンでもあったから、先輩にすぎやま先生と青島氏がいるという理由で武蔵丘高にしたんです」。
幼少時代から中学生前半までは秀才だったさくま少年だが、中学生後半から始めたバンドに加え、封印していた漫画も解禁したさくま少年の成績は低空飛行のまま。「たまたま『巨人の星』をのめり込んじゃって。音楽やる漫画ばかりだと勉強ができなくなるっていうのは本当だね」。
武蔵丘高では数学で0点を3回も取り、学年で下から3番目の成績も経験。冗談で物理部に入ったものの、物理でも赤点を取り校内の話題にもなった。
優等生から劣等生へ転げ落ちたさくま少年だが、あることをきっかけに成績が急浮上することになる。バンドを辞めることになったのだ。その理由とは…。(つづく)
◆さくま あきら 本名・佐久間晃。1952年7月29日、東京都杉並区生まれの59歳。「週刊少年ジャンプ」誌上で82〜95年に連載された「ジャンプ放送局」の構成を担当。ゲーム作家として「桃太郎伝説」「桃太郎電鉄」などのゲームソフトを手掛ける。
[ 2012年2月1日 ]
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