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日めくり芸能界 1月

【00年1月23日】きんさん大往生 ぎんさんも後を追うように…

 2000年1月23日、双子のおばあちゃん姉妹「きんさん、ぎんさん」の姉・成田きんさんが心不全のため名古屋市南区の自宅で死去した。107歳5カ月だった。この日は午前8時30分に起床して仏壇に手を合わせたが、家族が午前9時30分ごろ「ご飯は?」と声を掛けると「まんだええ(まだいい)」と答え、再び床に入った。午前10時30分ごろ、家族が起こしに行くと、体が冷たくなり始めていたため、主治医に連絡。家族で体をこすり「目を覚まして」と呼び掛けたが、最期は子供や孫ら8人に見守られて眠るように息を引き取ったという。

 午前11時過ぎ、同じ南区内の約5キロ離れた自宅で悲報を聞いた妹の蟹江ぎんさんは「えっ」と絶句。「どうするだ、どうするだ」と非常に慌てた様子で布団を頭からかぶり「なんまいだぶ、なんまいだぶ」と何度も念仏を唱えたという。午後になって気丈にも報道陣の前に姿を見せ「惜しいわねえ。自分の身がなくなったような気がして、何もものが言えんようになりました。長い間一緒におりまして、私にとって親のような存在でした。こんな悲しいことはない」とコメント。話し終えると「涙が出るわ」と漏らして泣き崩れた。

 「きんは100しゃあ(歳)ぎんも100しゃあ」という名古屋弁の軽妙な語り口と、年齢を感じさせない明るさで多くの国民から愛された。明治、大正、昭和、平成と齢(よわい)を重ね、数え年で100歳に当たる91年9月の敬老の日を前に、愛知県知事らの表敬訪問を受けた。これを機にぎんさんとの「国民的ツインズ」は全国に知られるようになり「名古屋市、きんさん」で年賀状が届くほどの人気者になった。CDをリリースしたり、ドラマにも出演。「きんさん・ぎんさん」で92年の流行語大賞も受賞。93年春の園遊会にも招待された。99年にはギネスブックにも登場。00年には9度目の年女を迎え、あと199日で双子の世界最長寿記録を更新、3つ目の世紀越えにもあと11カ月余りだった。

 きんさんを失ったあと、残されたぎんさんは体調を崩した。だが、全国から励ましの手紙が届き、少しずつ元気を取り戻した。3月、きんさんの納骨に立ち会った時には「さびしくない!」と自らを励ますように声を強めた。4月に始まった介護保険制度では「要介護度5」の認定を受け、自宅近くの福祉施設でショートステイ(短期入所)とデイサービス(日帰り通所介護)を利用。福祉施設では、ほかのお年寄りたちとカラオケを楽しんだりして過ごした。9月の敬老の日前には、近所の保育園児らから「長生きしてね」と書かれた手紙を受け取り、何度もかみしめるように読み返した。年末に風邪をこじらせ、家族に不安が募ったが、01年に入ってからは家族も驚くほどの回復ぶり。きんさんの1周忌法要前には「もう1年になるかなあ」と感慨深げに話し、大好きなカレーライスを食べるまでに回復した。

 だが、2月28日午前1時50分、老衰のため名古屋市南区の自宅で、姉の後を追うように永遠の眠りについた。2月9日に少量を吐血、15日ごろからほとんど寝たきりの状態だった。最後に口にしたのは大好物のみかん。27日夕、家族がまくら元でみかんを食べていると、ぎんさんが首を振って欲しがったため、果汁を口に含ませた。みかん2ふさ分の果汁を、おいしそうに飲みこんだ。この日深夜に容体が悪化。翌28日午前1時40分ごろ、息を引き取った。「自然な形で一生を終えさせたい」との家族の意向で、酸素吸入や投薬以外、本人の負担になるような治療は行われなかった。

 死後、家族が自宅の仏壇を整理したところ、ぎんさんが自分で用意していた死に装束が見つかった。巡礼のときに着る白い衣装で、きちんとたたんで袋に入れられてあった。ぎんさんが数十年前に縫ったもののようで、茶色く変色。数珠やお札も用意されており、衣装と一緒に銀色の棺に納められた。

 <きんさん語録>

 「100年は短かった」(92年8月1日、満100歳の誕生日に)

 「まあ、どきどきした」(93年5月20日、陛下主催の春の園遊会で)

 「飛行機には慣れとりますから」(95年5月14日、初の海外旅行となった台湾行きを前に)

 「年はいくつになったかね。役場に行って聞いてこな忘れちゃった」(98年7月31日、満106歳の誕生日を前に感想を聞かれて)

 「今はよくなりましたよ。昔は戦争もあって、それこそ大変でした」「景気はみんなの気力です。みなさんで力を合わせて“景気はええ、景気はええ”と言っていれば、商売をやっている人に通じて景気はよくなりますよ」(同年12月24日、不景気が続く年末に翌年の希望を聞かれて)

 「やっぱりうちがええ。早くぎんさんに会いたいねえ」(99年7月29日、胃かいようで入院後16日ぶりに帰宅して)

 「106歳まで生きようと思っていたのでもういい」(同年8月1日、札幌市内で開かれた107歳の誕生日会で「いくつまで生きたいか」と聞かれて)

 「金よりいい色はありません。いい夢が見られそうですねえ」(同年11月22日、宮崎県の業者から金色の畳を贈られて)

 「体が丈夫で過ごせればええです。皆さんもお元気で」(同年12月2日、2000年を前に抱負を聞かれて)

 <ぎんさん語録>

 「世の中よーやってくれる人を選びました。悪い人が出んように」(1992年7月26日、参院選の1票を投じた後で)

 「100まで生きさせてもらって、こんなうれしいことはない」(92年8月1日、満100歳の誕生日に)

 「とにかく気力ですね」(93年9月15日、名古屋市内での健康フェスティバルで長寿の秘けつを聞かれて)

 「あんたに会えたことじゃ」(93年12月12日、島根県美保関町で、小学生に「生きていてうれしかったことは」と聞かれて)

 「あっちの人に名古屋の言葉が通じればええけどね」(95年5月14日、初の海外旅行となる台湾行きを前に)

 「ずっと(誕生日を)やってきたから、慣れ慣れだわ。年なんか勘定せんでも生きるだけ生きる」(98年7月31日、満106歳の誕生日を前に)

 「あの人(きんさん)はね、ちょっと陰気なほう。私は双子でもちょっと口やかましい」(98年12月19日、名古屋市内でのイベントの最中に隣のきんさんが居眠りを始めたのを見て)

 「今年は少し(体を)痛めたけど、じき治りました。治る早さも人間によります。寿命があれば何歳でも生きます」(98年12月24日、肺炎で一時入院したこともあった1年を振り返って)

 「おみゃあ、こんなにつべた(冷たく)なっちまって…」(2000年1月24日、死去したきんさんを弔問に訪れ)

 「もう1年になるかな」(01年1月19日、きんさんの一周忌法要を前に家族に)

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