特別編集長・爆笑問題 ボケ倒し初仕事、どうせやるなら「笑おうぜ!」爆笑五輪だぁ~!

[ 2021年7月18日 05:35 ]

爆笑問題 五輪・パラ、スポニチ本紙特別編集長就任 大会直前対談

特別編集長に就任した「爆笑問題」の田中裕二(中央左)と太田光(同右)はスポニチ社員と共にアスリートたちへエールを送る (撮影・西川祐介)
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 東京五輪の開幕まであと5日。新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期になるなどさまざまな問題やトラブルが相次ぐ中で本番を迎える。

 太田 エンブレムや競技場の問題、森喜朗さんや政治家たちの失言…。悪いニュースが多くて、五輪に関わるいろんなことが起きた。こんな直前になって過去のいじめ告白が問題になった小山田圭吾もそうだし…。

 田中 開催反対の声もいまだに強いけど、結局無観客で迎えることになったね。

 太田 コロナ禍になってから笑えるニュースがなくなっているから、我々爆笑問題が「五輪で笑おう」と言いたい。俺たちはタイタンライブを2カ月に1回開催している。感染対策はしているけど、そんな中でも来てくれるお客さんはありがたいし、笑わせたい。でも声出すなって国から言われている。五輪の選手たちだっていろんな批判の中、嫌な目で見られながら競技するのは大変。でもね、アスリートも漫才師ももっと大きな思いを抱いて舞台に上がっているんです。その五輪選手たちが抱えている使命っていうのか、役割なのか、責任っていうものに僕らみたいな立場の人間が焦点を当てることでみんなに伝えられたらと思うんだ。

 田中 確かにこの1年、僕らにとっても大変な時期だった。僕自身コロナに感染し、脳梗塞もあった。

 太田 さすがに脳梗塞の時は爆笑問題も終わりかなと思った。でもね、それでも俺たちはネタにするんですよ。確かにマイナスだけど、俺たちの仕事はそれを笑うこと、一つ一つの出来事は悲しくても、それを上回る役目というか、それで悲しんでいたら仕事にならない。楽しくやることを考える。だから、やるとなったらやろうよって思うんだ。コロナによって、陽性者とか数値化できるものの情報に突き動かされてきたけど、一方で数値化できない何かが確実に失われている。失われたのはお金だけじゃない。例えばみんなでお酒を飲んだ時のそこでのコミュニケーションが失われている。人間同士の付き合いとか、時間とか、社会活動とかだよね。

 田中 芸能もスポーツも不要不急かと聞かれると、確かに生きるためには必要ではない。だけど、アスリートが記録を塗り替えるさまを見たら感動もするし、勇気づけられる人もいる。それって不要不急ではないけど、人間にとって大事なことで、そこを伝えたくて今回スポニチと一緒に仕事をすることになったんだよね。

 太田 そもそも五輪そのものが特別。世界中のアスリートが一生をかけて4年に1度臨むっていう大切さがあるんだよ。俺は元々、こういう時こそ、やってやれ、やればできるんだ!って思うんだ。こういう話をすると政府寄りって批判をされたりもするけど、ナショナリズムなんて大嫌いだし決してそうじゃない。

 田中 そもそも「五輪は特別」って発信していたのは森喜朗さんと川淵三郎さんだった。

 太田 そこは発信した人が悪かった。それは認めます(笑い)。田中にとっても五輪は特別で、シドニー五輪の時に誰よりも早く「金」(左睾丸=こうがん=肥大で手術)をとりましたからね。コイツは「金」のとり方を知っていますから「金」のとり方を紙面でも紹介していこうと思っています。「スポニチを読めば金が獲れる!!」。選手の関係者の間でバカ売れの新聞になるでしょう。

 田中は1965年1月に東京で生まれ、太田は同年5月に埼玉で生まれた。前回の東京五輪を見てはいないが、その成功体験として直接語り継がれた世代。

 田中 高度経済成長期まっただ中で開幕直前に東海道新幹線が開通したり、首都高が羽田空港から五輪会場が集まっていた代々木付近に延びたり、東京モノレールが開通したり、目に見える発展があったよね。

 太田 当時は五輪を見るためにテレビを買ってお茶の間で見たっていうのが増えたけど、今回はコロナで「おうちでテレビを見ましょう」ってなっている。PVもなくなっちゃって、近所の人とホテルで見るプランなんてあって、57年たってもテレビを囲んで観戦するって風景が繰り広げられるんだよね。

 田中 オヤジが五輪が好きで毎回楽しみにしていて、毎回、各国のメダルを米国とか、ソ連とか、棒グラフにして貼っていた。俺はやってないけど、そういう家に育った。どのぐらいの五輪までやっていたかは分からないけど、その後はマラソン熱が凄くなって、テレビの前に陣取ってストップウオッチでラップタイムを計っていたよ。

 太田 俺はアベベは物凄かったって聞いていた。だけど、そのアベベがね、東京じゃはだしじゃなかったって知ってる?ローマでははだしだったけど。高田文夫先生が円谷幸吉に勝たせたくて甲州街道でアベベに向かって画びょうを投げようとしたんだけど、靴を履いていたからやめたんだって言っていた(笑い)。

 今回の五輪ではどんな伝説が生まれるのだろうか。2人が真っ先に挙げた注目選手は競泳の池江璃花子だ。

 田中 病気のニュースはショッキングでした。コロナで延期となった時、もしかしてって希望的な見方はあったけど、復帰して凄いなと思う。大病して復活して、アスリートの最高峰に出場するまで回復するのが凄い。

 太田 あのぐらいのレベルに行く人だから元々メンタルが強いんだろうけど、病気になって治療して、ゴールに行き着くイメージや組み立てもうまいんだろうね。やっぱり彼女の活躍が見たいよ。

 田中 直前の選考レースで100メートルと200メートルで2位に入ったデーデー・ブルーノ選手は武井壮が友達だって言っていた。あいつは大体のアスリートを友達だというので、どれぐらい深いかは知らないけど(笑い)。

 太田 岩崎恭子じゃないけど、今回は東京大会だからノーマークの日本人で活躍する人が出てくると思うからデーデーはその筆頭格かもね。話は違うけど、バレーの中田久美監督は俺と同い年。中3で全日本選手に選ばれていて凄いなあって思っていた。監督として期待したい。

 田中 今、スポーツ新聞で一番楽しみなのは「二刀流」の大谷選手の活躍だよね。五輪期間中はどっちが1面になるのか。それはそうと、五輪での「二刀流」は平野歩夢選手がいるよね。

 太田 平野選手も大谷選手も二刀流で二枚目。天は二物を与えないっていうけど、お前は二物どころか、一モツをとっちゃったんだもんな。

 田中 それは関係ないだろ!

 太田 大谷選手といえば、日本だけじゃなくて全米が応援している姿を見ると感動するよね。人種を超えて、球場での姿に声援を送っている。そういう力が本来は五輪にもあると思うんだよね。

 田中 歴史の証人になる僕らが精いっぱい選手たちを応援した記憶の残るものになって、そういう記録を残せる新聞を編集長として作っていきたいな。

 ◇爆笑問題 太田光(おおた・ひかり)、田中裕二(たなか・ゆうじ)。太田は1965年(昭40)5月13日、田中は同年1月10日生まれでともに56歳。88年にコンビ結成。TBS「サンデージャポン」「爆報!THEフライデー」などレギュラー番組多数。田中は12~17年にTBSのスポーツニュース「S☆1」でMCを務め、侍ジャパンなど特に野球に対する造詣が深い。また、コンビでNHK「ニッポンの教養」(07~12年)、「探検バクモン」(12~19年)などアカデミックな番組に出演している。

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