間寛平、盟友・木村進さん通夜で涙こらえ…「30年間ホンマよう頑張った」

[ 2019年5月21日 20:18 ]

木村進さんの通夜で、思い出を語る間寛平 (撮影・後藤 大輝)
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 腎不全のため19日に68歳で死去した元吉本新喜劇座長の木村進(きむら・すすむ、本名同じ)さんの通夜が21日、大阪市都島区の「都島葬祭 コスモール都島」で営まれ、タレントの間寛平(69)、吉本新喜劇の池乃めだか(75)、島田一の介(68)、桂文珍(70)、オール巨人(67)らが参列。生花で彩られた祭壇には、30代の若かりし頃の木村さんの写真が遺影として飾られ、参列者の涙を誘った。

 木村さんとは半年違いで吉本新喜劇に入団した寛平。読売テレビ「大阪ほんわかテレビ」の収録から駆けつけた。「辞めようかと思ってた時に“ボクに着いてきてくれ。2人で頑張って行こう”と言われ、それからコンビみたいに頑張った」と2人で一緒にスターダムにのし上がった秘話を明かした。新喜劇で一緒にやったのは4年。ともに座長となったためコンビ解消した。知り合った当初は「お金がなくて、毎日木村さんのウチで食事をご馳走になった」。木村さんが倒れてからの30年間も「毎年3回ぐらい会ってた」。木村さんの父・博多淡海さんが演じていた“博多にわか芝居”を「一緒にやろうとずっと話していた」が夢叶わず。「でも、30年間、ホンマよう頑張った。残念です」と目を伏せた。

 喪主の妹・木村龍子さん(67)によれば、木村さんは大阪市内で同居していた母親が11年4月に亡くなってから施設へ。14日に施設職員から龍子さんへ「いつもと様子が違う」と連絡があり、病院へ転院。16日に寛平が病院へ見舞いに訪れたが「呼びかけても反応なかった」と寛平は涙を堪えた。お通夜でも焼香後、木村さんの顔を見ないまま、斎場を後にした。

 「どこから見てもスターでした。パッと咲いてパッと散ったような人生だったと思います」と龍子さんは涙ながらに語った。生前、龍子さんらが「髪を切れば」と散髪を進めても「お婆さん役をやれと言われたらやれるように」と木村さんは何年も髪を切ることを拒んだそうで「最後まで舞台への思いがあったんでしょう」と龍子さん。「不自由な体から解放されて(天国で)先に逝った父、母や役者さんらと楽しくお芝居でもしてくれたら」とまた、涙を流した。

 告別式は22日午前11時半から大阪市都島区の「都島葬祭 コスモール都島」で。

 ▼島田一の介 突然の訃報で驚いてます。ずっと会ってなかったから…。昔はよく、飲みに行きました。いつも酔っ払ってたけど。連れて帰るの、大変でしたね。10年ほど前に尼崎の店(バー)に来てくれて。車イスだったけど、喋りはしっかりしてました。それが会った最後かな。お父さんの後を継いで、跳んだり、跳ねたり、凄い人だった。あんな人はもう、出てこないでしょうね。残念です。

 ▼川畑泰史 ボクらの憧れの大先輩でした。座長になった時、会社から木村さんの映像を借りて、全部見せて頂きました。ホントに面白かった。ファンでした。安らかな顔をされてましたが、痩せておられました。残念です。

 ▼末成由美 私にとっては心の師匠でした。ご冥福をお祈りします。

 ▼すっちー 飲んだ席で、どの先輩に「木村さんはどんな方でしたか」と聞いても、「何でもできる人」と返ってきました。亡くなる1日前にも(末成)由美姉さんと話していて「何でもできて、色気があった。格好よかった」と。同じ舞台人として憧れます。こういう先輩方の頑張りのおかげで今の新喜劇があるのだと思います。ああいう人になりたいですね。

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