半身不随のロックスター「悲しくて泣いても涙をふけない」どん底で起きた2つの奇跡とは

[ 2018年11月2日 21:13 ]

14年9月の広島―巨人戦で国歌独唱する、ROGUEのボーカリスト・奥野敦士
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 TBS系「爆報!THEフライデー」(金曜後7・00)が2日に放送され、ロックバンド「ROGUE(ローグ)」のボーカルだった奥野敦士(55)の近況が明かされた。

 「ROGUE」は1980年代に音楽好きな若者の間で絶大な人気を誇った4人組ロックバンド。ボーカルを務めた奥野の実力は「Mr.Children」のボーカル、桜井和寿(48)も尊敬してやまないほどだった。

 だが、人気絶頂だった90年にバンドを解散し、ソロ活動をしていた奥野を悲劇が襲う。それは地元・群馬県に帰って昼間に解体業のアルバイトをしながら夜は楽曲制作をするという日々を送っていた2008年9月11日のことだった。張り替え作業をしていた屋根が抜け落ち、約7メートル下のコンクリート床に転落。7時間後に目覚め、命があることに安どした直後「体が動かない」と胸から下の感覚がないことに気づいた。転落した際に首を強打。頸椎損傷による半身不随だった。

 障がい等級1級の障がい者となった奥野は、腹筋が使えず腹式呼吸ができないことから歌声も失った。「悲しくて泣いても涙をふけない。死にたくなる人の気持ちが分かった。こうやって死にたくなるんだなって」。それでも電動車いすのシートベルトでお腹を強く締める方法で歌えることに気づき、猛特訓。2年後、歌声を取り戻した奥野の動画を友人が「歌う姿をファンに見て欲しい」とインターネットに投稿したところ、奇跡が起こる。

 事故から6年後の2014年。障がい者施設で生活していた奥野のもとを、動画を見たという1人の女性が訪れた。それが、学生の頃から「ROGUE」が好きだったという現在の妻・亜紀さん(43)だった。不慮の事故に負けない姿に感動して訪れた亜紀さんがお見舞いを重ねるうちに音楽の話題で意気投合して交際へ発展し、翌15年に結婚。奥野の両親はすでに亡くなっていることもあって、奥野を施設から群馬県前橋市にある実家に引き取った。

 現在は、現役看護師でもある妻の母・幸子さんと一般企業OLとして働く妻の3人で生活。朝は床ずれ防止のため体の位置を変えることから始まり、ひげそり、薬の服用、食事の補助。頭がかゆい時も妻にかいてもらう生活だ。「普通の夫婦じゃないわけだからちょっと我慢してるのかな、可哀想だなって思う時は多々ある」と奥野は語るが、それを聞いている妻の顔は優しい笑みにあふれていた。

 そして、動画を見て訪ねて来た人物がもう1人。それがミスチルの桜井だった。中学時代から奥野に憧れており、ずっとROGUEの代表曲「終わりのない歌」を聞いていた桜井は、ミスチル結成後も奥野の歌い方や衣装をマネするなど多大な影響を受けたという。動画を見た桜井は奥野に桜井主催のライブ出演を依頼。「出たい」と思った奥野だったが、体調不良によりドクターストップがかかった。「それでまた落ち込んで。俺はもう何もできないんだなって」。

 だが、数カ月後、桜井から郵便物が届く。入っていたのは奥野が出演できなかったライブのDVD。その中で桜井は「皆さんに聞いていただきたい曲がありまして。中学の時、高校の時、アマチュアでやってる時、ずっと好きで聞いてた『終わりのない歌』というスゲーいい曲があるんですけど」と客に語りかけ「終わりのない歌」を熱唱。会場のモニターには奥野が歌声を取り戻したあの動画が流れた。「こういう形でやってくれたんだって。泣きそうになっちゃった。泣いちゃったんだっけな」。思わぬセッションに奥野の心が動いた。「いつか必ず桜井と同じステージ立つ」。

 そして6年後の今年1月、再び桜井からオファーが届き、今年7月ついに奥野は桜井と同じステージに上がって体調不良を押して「終わりのない歌」を歌う歌声を披露した。「辛かったけど、歌を続けて良かった。生きてるうちは諦めちゃもったいない。やり遂げればハッピーになれる」という奥野。桜井は「多分どんなところにもどんな場所にもどんな人にもきっと悲劇があって。もし僕が奥野さんのような状況にある日なっても、ああやって同じようにくっしゃくしゃの笑顔で楽しくハッピーに歌を歌っていたいなって、そんな風に思います」とエールを送った。

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