MBS赤木アナ、10月末で定年退職…24日阪神VS巨人戦で集大成へ

[ 2018年9月21日 09:57 ]

甲子園球場で安藤統男氏(右)とコンビを組む赤木誠アナウンサー
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 選抜、プロ野球、高校ラグビー、駅伝など…。一度聞いたら誰が喋っているかすぐに分かる、よく通る声。野球やラグビーなど1000試合以上の実況を担当してきたMBS・赤木誠アナウンサー(59)が10月末で定年退職。24日の阪神対巨人戦(甲子園)で、37年間の集大成、現役最後のテレビ実況中継に臨む。

 「そんなに長くやってきた気はしませんがね。カレンダーを見ると37年経ってました」

 福岡生まれだが、自衛官の父の仕事の影響で全国各地を巡った。小中学校は神奈川・横須賀。高校3年間は鹿児島。「そのおかげか普段は共通語。博多弁も鹿児島弁も大丈夫。大阪弁は喋れない」と笑いながら共通語で話した。「西鉄(現西武)ファン」という理由で九州大に進学。1978年にライオンズ(当時はクラウン)が埼玉・所沢に本拠地移転。学生時代に地元局アナの子息を家庭教師していたことでスポーツアナを志した。

 赤木アナは節目の個人記録、歴史的な瞬間の実況と縁が深い。日本シリーズはテレビで4試合の実況を担当。「96年、オリックスが日本一を決めた試合。鳥谷選手の2000安打。北川選手の代打逆転サヨナラ満塁優勝本塁打も」と赤木アナ。思い出に残る試合は数限りないが「03年の日本シリーズ第4戦(甲子園)は終盤、すごく冷えて延長戦に。初めてトイレを我慢できなくなりそうになったこと」。結局、現阪神監督・金本のサヨナラ本塁打で事なきをえた。「“飛び込んだ〜”と叫びましたが、心の中では“助かった〜”。これが唯一の危機」。

 最後のテレビ実況は縁の深い元阪神・安藤統生氏、掛布雅之氏とトリオで臨む。「最後もいつも通りに。安藤さんには野球の基礎を教えてもらった。感謝してます。いろんな人に支えてもらった。生まれ変わってもまた、スポーツアナをやりたいですね」。今後はCS、BSなどで“レジェンドアナ”として第2の人生を歩む。

 ≪花園でも活躍≫野球界だけでなく、高校ラグビー界でも“名物アナ”だった赤木アナ。花園の本大会だけでなく、奈良大会決勝戦を1988年から30年間、実況した。8月20日には吹田市内のホテルで高校ラグビー関係者に「お疲れさんパーティー」を催してもらった。「関西だけでなく、全国から高校ラグビー界の指導者の方たちが100人以上、集まってくれました。人生59年で1番感動した。これまでやってきてよかった」としみじみ語った。

 ◇赤木 誠(あかぎ・まこと)1958年10月24日、福岡市生まれの59歳。国分高から九州大理学部数学科を経て81年4月に毎日放送へ入社。スポーツ担当アナウンサーとして、プロ野球、高校野球、高校ラグビーなどで名実況を積み重ねた。

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2018年9月21日のニュース