故郷・静岡を愛したさくらさん 清水次郎長ファン…ペンネームは落語家亭号から

[ 2018年8月28日 07:25 ]

さくらももこさん死去

89年7月、執筆中のさくらももこさん
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 「ちびまる子ちゃん」は日常の会話劇に面白さがある。それはさくらさんのキャラクターそのものだった。落語好きで、若い頃から笑いのセンスにあふれ、OL時代には花見で一席演じることもあった。作品が認められず落語家を志したこともあったほどで、「さくらももこ」のペンネームも亭号から思いついたものだ。

 さくらさん自身も「描きながら噴き出すこともあった」というように、楽しみながら机に向かい続けた。デビュー当時を知る編集者も「文章でも笑いが取れるくらい面白いことを書く方だった」と評した。

 よく話し、よく笑う。インド哲学にも精通しており、雑学にも詳しいなど引き出しも多かった。作品のアイデアはお風呂に入ったり、食事中など普段の生活から生まれた。まる子ちゃんの会話は無理せずシンプルに。それも日常にある面白さを追求したものだった。

 95年にさくらさんが作詞し、渡辺満里奈(47)が歌った、ちびまる子ちゃんのオープニングテーマ「うれしい予感」を手掛けたプロデューサー・川原伸司氏は「さくらさんはまる子ちゃんのキャラそのまま。天然でどこか鋭い。ユーモアにあふれた人で、仕事をして凄く楽しかった」と振り返った。

 さくらさんは“幕末・明治の侠客(きょうかく)”清水次郎長のファンでもあった。昭和時代の名浪曲師・広沢虎造さんの浪曲「清水の次郎長」を愛聴していた。2000年には企画、取材、執筆、漫画、イラストを1人で手掛けた雑誌「富士山」を出版。観光巡りを紹介したのも“地元愛”からだ。13年には、静岡の地名や名物を盛り込んだ「まるちゃんの静岡音頭」も作詞している。

 自身を投影したまる子ちゃんと、多感な時期を過ごした静岡にたっぷり愛情を注ぎ続けたさくらさん。最後までぶれることなく、どこの家庭にもある笑いを届け続けた。

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