120本目の出演映画は“初めて尽くし”

[ 2018年3月13日 09:30 ]

「北の桜守」の初日舞台あいさつを行った(左から)滝田洋二郎監督、阿部寛、篠原涼子、吉永小百合、堺雅人、岸部一徳、佐藤浩市
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 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】吉永小百合の主演映画「北の桜守」が3月10日に封切られ、盛況のスタートを切った。東映は興行収入20億円超えを見込んでいる。

 「北の零年」(05年)「北のカナリアたち」(12年)に続く“北の三部作”の最終章にして、吉永にとって120本目の出演作。1945年の8月、旧ソ連軍の侵攻で樺太(現サハリン)から命からがら引き揚げてきた母と息子の激動の約30年を描いた感動作だ。昨今とみに涙腺が緩くなってきたせいか、3度ほど涙が筆者のほおを伝わった。

 「何とか難を逃れてきても、凄くつらい思いをしながら生きてこられた方がたくさんいらっしゃるということを今回、初めて知って驚いたんです」

 北海道弟子屈町で育った横綱大鵬を例に引き、「お母様とすごく苦労された。いろんなことをしたから足腰が強くなって相撲取りになれたんだとおっしゃっていたというふうにうかがいました。(劇中の)この子供もね、つらい思いをしたから70年代に一生懸命に歯を食いしばって一人前になったんでしょうか。お母さんのスパルタが良かったのかどうかは分からないんですけど、最後に息子がお母さんに寄り添ってくれるっていうのは母親にとっては幸せなことですね」

 今作は吉永にとっても、初めて体験することが多かった。気鋭の演出家、ケラリーノ・サンドロヴィッチが手掛けた舞台劇もその一つ。「8人のパフォーマーの方々が素晴らしかった。車輪になったり、ソ連兵になったり、看護師さんになったり、瞬時に姿を変えて、すっと自分のポジションに入っていく。抽象で描くことの面白さを見せて頂きました。これは良くなるぞと」

 息子を演じた堺雅人とも実写では初共演。「(「母と暮せば」で息子を演じた)二宮和也さんは天才で、堺さんは秀才。計算された演技力は素晴らしかったです。とてもいい形でキャッチボールが出来ました」と絶賛。

 滝田監督とも初顔合わせだ。「明るい方で、現場はいつも笑い声が絶えなかった。常にカメラの脇にいてくださって、役者の芝居を見て下さった。うれしかったし、ありがたかったです」と感謝の言葉を連ねた。

 意外だが、佐藤浩市とも初のジョイント。「(練馬区大泉の)東映撮影所と(世田谷区成城の)東宝撮影所で2度ほどすれ違って、ちょっとだけお話をしたくらいでしたが、私、佐藤さんの映画はけっこう見てるんですよ。『敦煌』とか、若い頃からのね。ここに来て、本当の男の魅力っていうのを出されて。セクシーなんです。驚きました。(北海道の)宗谷の丘陵で撮影した時も西部劇に出てくるイーストウッドのような雰囲気があって。お父さん(三國連太郎)とはまた違った魅力ですね」

 さらにこんなエピソードも披露。「広島にキャンペーンに行って、福山で宿泊した時に佐藤さんがいろいろ映画の話をされてて、その中で“三國が…”と何度もおっしゃる。それがとても素敵で、お父さんのことを大事に思っていらっしゃるというのが伝わってきて。ああ、いいなあと。私なんか、親せき縁者、誰もこの世界の人がいないですからね。そしてまた息子さん(寛一郎)がやっていくわけでしょ。うらやましく思いました」

 吉永が演じた「江蓮てつ」の「てつ」は母方の祖母の名前。「控えめで、夫に仕えるおばあちゃんだったんです。なんであんなに優しいのに“てつ”なんて名前だったんだろうと思うくらい。『北の零年』は志乃、『北のカナリアたち』ははるでしょ。今回は“あきこ”か何かだったんです。“2文字の方がよくないですか?”と脚本の那須真知子さんに私が提案したんです」

 おばあちゃん孝行も出来て、ちょっぴりうれしそうだった。(編集委員)

 ◆佐藤 雅昭(さとう・まさあき)北海道生まれ。1983年スポニチ入社。長く映画を担当。

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2018年3月13日のニュース