大杉漣さん貫いた謙虚な姿勢「演じられるだけで幸せ」 記憶に残るのは柔和な笑顔ばかり

[ 2018年2月22日 05:30 ]

大杉漣さん死去

名バイプレーヤーとして多くの作品で親しまれた大杉漣さん
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 【悼む】突然の悲報を受け止めきれないでいる。

 初めてインタビューしたのは「犬、走る」公開前の98年夏。サッカー選手を夢見て徳島から上京しながらケガで挫折したこと、吉祥寺の書店で見つけた無言劇・転形劇場の本に触発され太田省吾氏の門を叩いたこと、ピンク映画の撮影で全身コールタールまみれになったこと…。

 2時間半にわたった衝撃的なエピソードの数々は全て楽しかった。こちらがお礼を言うと「大丈夫、本当に大丈夫?うまくしゃべれたかなあ」と何度も確認する気遣いに心打たれた。

 北野監督の「HANA―BI」などで助演男優賞を総なめにし、バイプレーヤーとしての地位を確立したが「役者は現場に呼ばれて、演じられるだけで幸せ」という謙虚な姿勢は崩さなかった。ある大学の映画研究会が自主映画を撮る際、大杉さんにオファーが来たが「僕はプロの役者だから、ギャランティーはもらうよ」という条件で新潟のロケに参加したこともある。その時も、恐らく学生たちが金をかき集めたギャラを「これは僕からのカンパだよ」とそのまま渡すという、男気のある人でもあった。

 今も現場などでお会いする度に、こちらの体調や仕事を気に掛けながら「またインタビューしてもらいたいなあ」と言ってくれた。突然の別れとなってしまったのは悔やんでも悔やみきれない。役柄上はコワモテのイメージがあるが、思い起こすのは柔和な笑顔ばかり。それがもう見られない。(元スポニチ映画担当・鈴木 元)

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2018年2月22日のニュース