大杉漣さん急死 ドラマ収録後に倒れ…松重豊が病院搬送も

[ 2018年2月22日 05:30 ]

急逝した大杉漣さん
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 「HANA―BI」など北野武監督(71)の映画をはじめ、数多くの作品で存在感を示した俳優の大杉漣(おおすぎ・れん、本名孝=たかし)さんが21日午前3時53分、急性心不全のため死去した。66歳。徳島県小松島市出身。出演中のドラマの収録後に倒れ、そのまま逝った壮絶な死だ。葬儀は故人と家族の意向で親族のみで営む。誰からも愛された名バイプレーヤーの突然の悲報は芸能界に衝撃を走らせた。

 名脇役の突然の死は、所属事務所が午後8時半にホームページで発表した。目を疑った人も少なくなかったはずだ。テレビ東京のドラマ「バイプレイヤーズ〜もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら〜」の放送日にも重なっただけに、衝撃は余計に大きかった。

 本紙は大杉さんが20日も同ドラマに参加している様子を取材。いつもと変わらない様子だった。収録後に松重豊(55)ら共演者と夕食を共にし、ホテルの自室に戻ったところで腹痛に襲われた。

 出演者はグループLINEでつながっており、それを利用して大杉さんは「具合が悪い」と訴えた。異変に気付いた松重がタクシーで千葉県内の病院に連れて行った。手厚い治療が施されたが、容体は好転せず、臨終は松重の知らせを受けて病室に駆けつけた光石研(56)、田口トモロヲ(60)、遠藤憲一(56)がみとった。

 撮影中の壮絶な“戦死”だ。共演者たちの悲しみは計り知れないものがある。テレビ東京を通し、「あまりにも突然のことで、メンバー一同、まだ現実を受け入れられないでいます」と悲痛なコメントを寄せた。同局は「ご遺族、事務所、キャストの皆さまのご意向もあり…」と21日の第3話を予定通り放送。28日の第4話と3月7日の最終話の放送については検討中と説明した。

 大杉さんは明治大学を中退後の74年に劇団「転形劇場」に入団。88年の劇団解散後に活動の場を映画やドラマにも広げて硬軟問わず数多くの役を演じ分けてきた。情報屋、やくざ、刑事、校長先生など「300の顔を持つ男」と言われるゆえんだ。

 北野監督との出会いで才能が大きく開花。北野組のレギュラーとなり、他の実力派監督からも声がかかるようになった。それでも当人は客観的な視点を大事にするためにスタッフや共演者とプライベートでは一線を引く姿勢を取り続けた。昨年公開された北野監督の「アウトレイジ 最終章」が最後の出演映画。これが自身の最終章にもなってしまったのはあまりに悲しすぎる。

 ◆大杉 漣(おおすぎ・れん)本名大杉孝(おおすぎ・たかし)。1951年(昭26)9月27日、徳島県生まれ。74年に太田省吾創設の劇団「転形劇場」に入る。80年にピンク映画「緊縛いけにえ」で映画デビュー。88年に転形劇場が解散し本格的な映画挑戦を目指した。99年「HANA―BI」ほかでブルーリボン賞、毎日映画コンクールなどの助演男優賞を受賞。

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