川地民夫さん死去…79歳、脳梗塞 菅原文太さん相棒「まむしの兄弟」

[ 2018年2月12日 05:30 ]

死去した川地民夫さん
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 日活のアクション映画や、故菅原文太さんと共演した東映「まむしの兄弟」シリーズなどで活躍した俳優の川地民夫(かわち・たみお、本名河地猛=かわち・たけし)さんが10日午後4時59分、神奈川県横須賀市の病院で死去した。79歳。同県逗子市出身。脳梗塞で倒れ、家族の祈りも届かなかった。三枚目もこなすかっこいい二枚目スターだった。

 また一人、昭和の銀幕スターが旅立った。スポニチ本紙の取材では、川地さんは2週間前に逗子市内の自宅で倒れた。ソファに座っていたが、夫人が声を掛けても反応がないため、救急車で緊急搬送。そのまま一度も意識が戻ることなく、10日に夫人や親友に見守られて死去した。60年来の友人の男性(77)は「苦しむことなく、眠るように息を引き取った」と明かした。

 3カ月前に脳梗塞で倒れ入院。その1カ月後にも脳梗塞を起こして1週間入院した。退院後は自宅近くをつえを突いて散歩ができるまでに回復していた。酒とタバコが大好きで、夫人や友人に「やめなさいよ」と何度言われても、かたくなに最後までやめなかったという。

 逗子の家の隣に住んでいた石原裕次郎さんの勧めもあって大学1年生の時に日活に入社。1958年に映画「陽のあたる坂道」で裕次郎さんの弟役でデビューした。その後、小林旭(79)、沢本忠雄(82)との「三悪トリオ」として売り出した。当時の日活では裕次郎さんの“タフガイ”、二谷英明さんの“ダンプガイ”など“ガイ”が付くとスターの証となったため、「“僕たちは何ガイ?と聞きに行ったら“問題ガイ”だって」とテリー伊藤との雑誌の対談で明かしていた。

 日活退社後は文太さんとのコンビで「まむしの兄弟」シリーズ9作に出演。他にも時代劇や2時間ドラマにも数多く出演し、昨年もフジテレビ「トクチョウの女〜国税局特別調査部〜」で元気な姿を見せていた。

 逗子でバーを経営しており、最近まで店に立って映画界の裏話を気さくに話して客を喜ばせていた。友人は「とても優しく、みんなから愛された。自分の好きなことを最後までやり続けて、人生をしっかり楽しまれたと思う」としのんだ。

 一般女性、死別した宝塚歌劇団の麻生薫さん、そして日本とフランス系米国人のハーフの現夫人と3度の結婚歴がある。

 ◆川地 民夫(かわち・たみお、本名河地猛=かわち・たけし)1938年(昭13)7月21日、神奈川県逗子市出身。日活退社後は、東映への出演が多く、「仁義なき戦い」などの映画に出演。舞台ではミヤコ蝶々さんの相手役として長年出演。2006年、芸能生活50周年を記念し、「東京港」で歌手デビューした。

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