沢島忠監督死去、91歳「人生劇場」シリーズで東映任侠路線確立

[ 2018年1月28日 06:15 ]

亡くなった沢島忠監督
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 東映時代劇や「人生劇場」シリーズなどを手掛けた映画監督で舞台演出家としても知られた沢島忠(さわしま・ただし、本名正継=ただし)さんが27日午前5時、多臓器不全のため都内の病院で死去した。91歳。滋賀県出身。「忠臣蔵」の映画化に執念を燃やしたが、力尽きた。葬儀は未定。

 1950年代後半から60年代にかけて中村錦之助(後の萬屋錦之介)さんや美空ひばりさんの映画で東映の黄金期を支え、鶴田浩二さんや高倉健さんを起用した「人生劇場」シリーズで任侠路線の礎を築いた巨匠が静かに逝った。

 関係者によれば、昨年末に体調を崩して入院。この日、眠るように息を引き取った。90年に夫人に先立たれてから1人暮らしを続けていた。病床にあっても「忠臣蔵」映画化への夢を持ち続けた。3年ほど前から台本を大手各社に持ち込んでいたが断られ、ならばと製作費捻出のために宝くじを購入。「3億円が当たれば何とかなるのだが」と10万円単位で買い続けていたという。

 配役も頭の中にあったようで、昨年9月に相談を受けた俳優の榎木孝明(62)は「これを撮り切らないうちは死ねない。本物の忠臣蔵を撮りたいと話されていた。僕も時代劇再生に向けた活動をしているので残念です」としのんだ。

 82年の舞台「宮本武蔵」で佐々木小次郎役を演じ、家族ぐるみのつきあいがあった目黒祐樹(70)は「時代劇の先生でした。忠臣蔵では僕のことも考えてくれていたようです。ショックで言葉もありません」と悲しみのコメントを寄せた。

 ◆沢島 忠(さわしま・ただし)1926年(大15)5月19日生まれ、滋賀県出身。1950年に東横映画に入社。マキノ雅弘監督、渡辺邦男監督らの助監督を務め、57年に「忍術御前試合」で監督デビュー。77年「巨人軍物語 進め!!栄光へ」以降は、舞台演出家として活躍した。55年にスクリプターの高松富久子さんと結婚。昨年の日本アカデミー賞で長年の功績に対し第40回特別賞を贈られた。

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