赤井英和、俳優転身30年「赤井やないとあかんと言われるように…」

[ 2018年1月14日 11:30 ]

「“やっぱり赤井やないとあかん”と言われるように」と意気込む赤井英和
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 俳優の赤井英和(58)が芸能生活30周年を迎えた。ボクサーを経て1989年公開の映画「どついたるねん」(監督阪本順治)で転身。過酷だった同作の撮影や思い出の出演作を振り返り「“やっぱり赤井やないと”と言われるように」と今後への意気込みを語った。2月は大阪松竹座での初の座長公演「泣いたらアカンで通天閣」(1〜10日)に出演する。

 「あれよりきついと思った作品はありません」。30年前を振り返る言葉に実感がこもる。「どついたるねん」は赤井同様、阪本監督にとってもデビュー作。監督自ら「33日間の撮影で、11キロぐらいやせた」と著書「孤立、無援」(ぴあ)に書く。赤井にもストイックさを求めた。

 「今体重なんぼ?」「71キロです」「明日68キロで」

 現役時代のリングでもリミットは63・5キロ。撮影前に84キロあった体重を削ってつくった71キロを一層削れという。夜食を断念して朝、カッパを着て走った。予習すべきセリフは疲れ切った心身に入ってこなかった。

 長回しの連続だった撮影。カットを減らしてカメラを回し続けることで、役者の緊張感を持続し、臨場感を保つ。当然、一度に詰め込むセリフ量は増えた。

 「当時の私では、カットで割ったら(映像が)つながらん。今見ると分かります」。年齢を重ねて自らの未熟さに気付くと同時に、阪本監督の思惑が理解できる。

 現役引退後、母校近大でコーチをした。試合ではセコンドとして選手に助言し、汗を拭いた。同じうれし涙を流した。

 「やりがいはある。でもスポットライトが当たるのは選手です。(自分が)当たりたかった」。転身の動機を物語る。

 1996年には読売系「24時間テレビ」で100キロマラソンに挑戦した。「ゴール前に足がつりまして。到着が20分遅れて番組初めての延長になりました」。NHK大河ドラマは「太平記」「秀吉」に出演。MBS系「半沢直樹」では半沢の味方になる大阪の町工場の社長を演じた。

 俳優人生の節目を迎えたが、「待つのが仕事。今後もいろんなところへ呼んでもらえるように」と気負いはない。プロデューサーや監督から請われて初めて演じることができる。それが俳優だろう。自意識を打ち消すように語る姿は現役時代と正反対だが、「“やっぱり赤井やないとあかん”と言われるように」。独自の存在感で芸能界に立ち続ける。

 ◆赤井 英和(あかい・ひでかず)1959年(昭34)8月17日生まれ、大阪市西成区出身の58歳。浪速高でボクシングを始め、近大に進学。在学中にプロ転向し当時の日本記録、デビュー以来12試合連続KOを樹立。「浪速のロッキー」の愛称で親しまれ、83年、世界初挑戦したが7回TKO負け。88年、俳優に転向した。

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