バブルど真ん中

[ 2017年10月12日 10:00 ]

ネルソン・ピケの1987年F1チャンピオン獲得記念メダル
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 【我満晴朗のこう見えても新人類】10月8日決勝のF1日本グランプリは、鈴鹿サーキットでの開催30年目という節目だった。その記念すべき1987年を現場で取材していた筆者にとっても感慨深い。

 当時の決勝は11月1日で、現地入りしたのは火曜日の10月27日。衣類やら取材道具でパツパツに膨らんだバッグを担ぎ向かった東京駅では森本晃生、岡田秀樹の若手ドライバーにばったり出くわす。もちろん2人とも目的地は同じだ。

 平日の昼間なのに駅構内は人、人、人…。「みんなF1を見に行くんだね」と軽くボケをかましたところ、岡田から「そんなことないでしょ」と冷静な突っ込みを返された覚えがある。

 だが、鈴鹿の混み具合は東京駅をはるかに凌駕(りょうが)していた。主催者発表で総観衆は22万5000人!スタンドはもちろん、お土産類を扱う売店コーナーすら乗車率250%の通勤ラッシュもかくありなん、という芋洗い状態だった。いやこれ、ホントに大げさじゃなく。

 29日のフリー走行から本格的に取材を開始。この年にデビューを果たした中嶋悟を中心に、年間チャンピオンを争うネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセルの走りを追う。もちろんアラン・プロストやアイルトン・セナらにも目を配りながら。30日の予選第1日、マンセルがS字でクラッシュ。病院送りとなり、決勝の欠場が決まる。同時にピケの総合優勝が確定。意外な展開に右往左往しながら慣れない原稿を書きまくり、あっという間に日曜日を迎えた。

 決勝レースの取材はプレスルームでイスにドカンと腰掛け、モニターを見ながら過ごすのが常。楽でしょ?しかしながら当時は地元メディア枠でピットパスを支給されていた筆者。これほどの千載一遇のチャンスを逃してなるものか。戦場とも言うべきレースの最前線で立ちっぱなしの取材を敢行した。

 殺気立つメカニックたちに紛れて2時間近くもウロウロしたのに、なぜか疲労感はさほどなかった。タイヤ交換のため時速100キロ超でピットに飛び込むF1マシンが目の前を通過する。ロリポップが待ち構える地点に1ミリも違わず停車し、わずか10秒前後の作業を終えて脱兎(だっと)のごとくコースに復帰。当時はピットストップ時の速度制限がなかったので迫力感は超絶だ。おかげで臨場感あふれる原稿が書けた、かどうかは別の話。

 今年の鈴鹿は総入場者数13万7000人で、過去最少だったという。30年前の熱気をもろに味わった身としては少々悲しい。「えっ、エフワンってまだやってたの?」という知らんぷり状態の人もいるのだとか。

 なんとかセナ…。(専門委員)

 ◆我満 晴朗(がまん・はるお)1962年、東京生まれの茨城育ち。夏冬の五輪競技を中心にスポーツを広く浅く取材し、現在は文化社会部でレジャー面などを担当。時々ロードバイクに乗り、時々将棋の取材もする。

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