「みなさんのおかげ」支える構成作家・遠藤察男氏 とんねるずと台本VSアドリブの日々

[ 2017年9月26日 10:00 ]

みやぞんの超天然キャラがさく裂!(左から)みやぞん、石橋貴明、飯尾和樹、木梨憲武(C)フジテレビ
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 フジテレビの人気バラエティー番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」(木曜後9・00)の30周年記念スペシャルが28日に放送される。タモリ(72)、ビートたけし(70)ら大御所芸能人と、大ブレーク中の「ANZEN漫才」みやぞん(32)ら人気芸人を迎えて豪華特番を展開する。石橋貴明(55)と木梨憲武(55)がメーン司会を務める番組は「とんねるずのみなさんのおかげです」としてスタートして以来30年。「太陽にほえるな!」「ちょっと北の国から」「青春の1ページ おかげです中学・高校」などのコントや「食わず嫌い王決定戦」「モジモジくん」「男気ジャンケン大人買いの旅」など名物コーナーを生み出し、視聴者を魅了してきた。黎明期から番組に携わり「仮面ノリダー」「矢島美容室」「井上陽水物語」などの台本を手掛けた構成作家・遠藤察男氏に30年を振り返ってもらった。

◆笑わせたくて…技と力の応酬「わっ、そうきたか!って」◆

――放送開始から30年。率直な気持ちを教えてください。

「それが、あまり記憶にないんです。人生の半分以上の時間をやっていて、最初の頃はコントばかりでしたので、必死に台本を書き続けていた記憶しかなくて。ずっと会議室にいてタバコを吸っていた気がします。若かったので無我夢中でやっていました。本当に大変な日々でしたが、よく覚えていないというのは、楽しかったということなのですかね」

――人気コントの台本づくりは本当に大変だったのですね。

「僕ら作家が台本を毎週書いて、当時のディレクターだった港浩一さん(共同テレビジョン代表取締役社長)のオッケーが出たらセットをすぐに用意する慌ただしい日々でした。台本が遅くなり、美術さんを待たせてしまうこともありました。“撮り貯め”ができず、ネタを思いついたら台本書いてブワーっと収録を進めていくような感じでした」

――毎週、怒涛の日々が続いていたのですね。

「好ましい表現ではないかもしれませんが、仕事を存分に楽しむ感覚でやってきました。とんねるずの2人も同じような感覚があったと思いますが、クラスの人気者がテレビに出ちゃって、その延長線上で番組をやっている感じでしたね。とにかく自分が書いた台本で“クラスの人気者”貴明と憲武を笑わせたくて。2人も“察男が面白いこと書いてきたから、もっと面白くしてやれ”と本番で頑張ってくれた。それを見て“よし、もっと面白い台本を書こうじゃないか”というような応酬が面白かったですね。とんねるずは、スタジオにいるスタッフを笑わせてやろうというイタズラ心が強く、アドリブが本当に面白かった。現場で本番を見ていて“うわっ、そうきたか!”というようなことが何度もありました」

◆第一印象は「でけえな!」とにかくギラギラ◆

――とんねるずの第一印象を教えてください。

「“でけえな!”って思いました(笑)。182センチと177センチの2人は、身体が大きいだけじゃなく“絶対に何かやってやる!”というような威圧感があった。私も駆け出しだったので、訳が分からないまま付き合いが始まった感じでした。とにかくギラギラしてましたね。年齢も近かったので“こういうヤツってクラスにいたなあ”というような感じ。なんか面白いことやろうよっていう雰囲気の中で、2人とは波長が合った感覚がありました。人を笑わせたいときの“笑いのツボ”というか、センスのようなものが似ていたような気がします。今までずっと一緒にやってこれたのは、2人もそう思ってくれていたからかもしれません」

――現在の印象は?

「あまり変わらないですね。いい意味で今もイタズラっ子ですし、予想を裏切って面白いことをしてくれます。30年経っているんですけど、世間話や馬鹿話の内容も昔と変わらないです。冗談で“お互い老けたよねえ”って言い合ってますが(笑)」

――とんねるずの魅力を教えてください。

「勘が凄いですね。(石橋)貴明はプロデューサーのような感覚で物事を見ることができる。客観的にとんねるずを見ています。独特な感性で企画を面白い方向へ進めることができる人ですね。(木梨)憲武は演出家のような人。その場その場で思いついたことをどんどんやっていく。そういう2人だからこそ、うまく合っていて、大きなぶつかり合いもさほどなくやってこれたのではないですかね」

◆コントで役者の駒足りず…裏方が表に出る流れに◆

――「みなさん…」には面白い企画がたくさんあります。特に印象に残っている企画を教えてください。

「刑事ドラマ『太陽にほえろ!』のパロディー『太陽にほえるな!』ですね。裏方のスタッフをどんどん画面に出していく演出の先駆けのような企画でした。本人がやりたい、出たいは関係なく引っ張り出してきて。なぜ裏方を出したのかというと、コントをやる出演者の人数が足りなかったからなのです。当時、とんねるず以外の芸人は番組に出演しないという暗黙のルールのようなものがありました。ですので、コントをする役者の駒が足りなかった。そこで裏方のスタッフを表に出す流れになりました。それが『野猿』に繋がっていったのです。プロデューサーもディレクターも美術もカメラマンも関係なく、キャラが立っているスタッフは引っ張り出されていましたね。それこそ学園祭みたいで面白かったですよ」

――手掛けたコントや企画が注目を集めるのは、構成作家という仕事の醍醐味ですね。

「個人的に好きだったのは『井上陽水物語』です。私は陽水さんのファンで、陽水さんがコントに出てくれることになったので、台本を頑張って書きました。とんねるずの2人と陽水さんが、売れないフォークシンガーという役柄で繰り広げるコントで、とんねるずが陽水さんの先輩役。『傘がない』という名曲があり“都会では自殺する若者が増えている”という歌い出しなのですが、陽水さんに対して2人が“どういう歌なんだよ?”と詰め寄り“都会では…”と陽水さんがワンフレーズ歌うと、“歌詞が暗い!”ってスリッパで頭をはたくような台本を書きました。陽水さんに怒られるんじゃないかと凄くドキドキしていたのですが、うまくハマって笑いになりました。器の大きい陽水さんのおかげですが、凄く嬉しかったのを覚えています」

◆こんなにイタズラ多い番組見てくれて…視聴者に感謝◆

――今だからこそ話せる、やり過ぎてしまった企画はありますか?

「時代が許してくれていたという部分がありますが、やってはいけないようなことをやっていた番組でしたので、やり過ぎてしまって後悔した企画は、あまりないかもしれません。普通の番組でしたらNGだったのかもしれませんが、どうやって普通からはみ出していくか考えてギリギリの企画ばっかりやってましたね」

――「時代が許してくれた」という話がありましたが、過激な面白い企画が放送しづらくなってしまったのは残念です。

「デリケートな話ですが、そういうことを気にすると何もできなくなってしまうと思います。今はプロデューサーの太田一平さんや番組責任者が、演者やスタッフには“縛り”のようなものをできる限り見せないように努力してくれていますね。とんねるずはギリギリだったり、普通から少しはみ出したりすることで面白さが際立ちますから。そうは言っても放送してから“面白いけど、やり過ぎちゃったかな”とビビッてしまうこともあります(笑)。でも、気にしすぎちゃうと何もできなくなっちゃいますよね」

――魅力あふれる企画を放送してきた30年ですね。最後に番組ファンにメッセージを御願いします。

「視聴者、ファンの方々には感謝の気持ちしかないです。こんなにイタズラが多い番組にお付き合いしてくれて(笑)。これからも頑張って番組をつくっていきます。おなかが出てきたり、白髪頭になったりしてきたときに、とんねるずのコントをもう一度つくりたいですね。昔は若い2人がカツラをかぶって老人コントをやってましたが“とんねるずがおじいちゃんになったら、どんなおじいちゃんコントをやるんだろう”って思いますね。これからも優しい目で番組を見ていただけたらと思います」

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