あの夏の強打者

[ 2017年8月29日 08:00 ]

やっと見つけた阿久悠さんの「甲子園の詩」
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 【我満晴朗のこう見えても新人類】32年ぶり新記録――。そんなヘッドラインが踊る高校野球のニュースに接しながら、今から32年前って…と引き算してみた。おお、なんと筆者が生まれて初めて甲子園を取材したその年ではないか。

 さまざまな出来事が走馬灯のようにフラッシュバックしてきた。ガチガチの優勝候補の試合前取材を終えて関係者用のトイレに駆け込み、琥珀(こはく)色の液体老廃物を気持ち良く排出。図に乗ってメタンガスまでかましたその瞬間、左隣にすっと人が立つ気配がする。妙にでかい。さりげなく視線を向けた先には、PL学園の4番打者がニコニコと明るくほほ笑みながら股間のジッパーを開けようとしていた。

 「こんちは!!」 いきなり体育系のあいさつをくらった当方、「あっ。えっ。ども」とへつらい笑いを浮かべての連れションタイムに突入。

 ぢゃーーーー。

 まるで華厳(けごん)の滝。バットを構えれば10年いや20年に一人の逸材と呼び声高い彼の放尿音もまた、超高校級だった。

 なことはどうでもいい。彼の放った5本のアーチはこの30年以上、アンタッチャブル・レコードとして燦然(さんぜん)と輝いていた。

 網膜に焼きついているのは1本目。最高速146キロを誇った高知商の剛腕投手から奪ったものだ。打球は緩やかな二次関数をほうふつとさせる高い弧を描き、左翼席中段に着弾する。火の出るような、というより、スローモーションのごとく。推定飛距離、140メートル。プロでもここまで飛ばせない。

 さらに強烈だったのは宇部商(山口)と相対した決勝戦。2本の本塁打はいずれも同点砲だ。乾いたタオルを絞りきって得た水滴に匹敵する相手の勝ち越し点を、2度にわたってなきものにした無類の勝負強さ。記者席でスコアを記入していた小僧記者は、得も言われぬ戦慄で打ち震えるばかりだった。

 ここまで思い出し、あっと叫んで自宅の数少ない蔵書をひっくり返す。本棚の端っこに、あった!昭和歌謡の巨匠、阿久悠さんの著作「1985 AUGUST 甲子園の詩 PART2」(福武書店)。

 当該の決勝戦は「蜃気楼(しんきろう)」のタイトルで渾身の散文詩が綴られている。無我夢中で読み返す。

 時を経た2017年8月。自身6本目のホームランをかっ飛ばした若者が聖地で躍動した。

 さて、天国の阿久さん。

 広陵の背番号2を目撃したら、どんな名作を編み出すのだろう。 (専門委員)

 ◆我満 晴朗(がまん・はるお)1962年、東京都生まれ。ジョン・ボンジョビと同い年。64年東京五輪は全く記憶にない。スポニチでは運動部などで夏冬の五輪競技を中心に広く浅く取材し、現在は文化社会部でレジャー面などを担当。たまに将棋の王将戦にも出没し「何の専門ですか?」と尋ねられて答えに窮する。愛車はジオス・コンパクトプロとピナレロ・クアトロ。

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2017年8月29日のニュース