神田うの「やっぱり私の場所」 原点バレエを東京五輪でもう一度

[ 2017年8月22日 10:10 ]

鏡張りのバレエ教室で優雅に踊る神田うの。東京五輪へ夢は広がる
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 【夢中論】少女時代、将来有望なバレリーナとして期待された神田うの(42)。長女(5)がバレエ教室に通い始めた2年前から自身もレッスンを再開した。1998年の長野パラリンピック開会式にダンサーとして出演した経験があり、「東京五輪でも声を掛けていただきたい」と早くも夢は大きく広がっている。

 都心にあるバレエ教室のスタジオ。「アン、ドゥ、トロワ」というフランス語のリズムに合わせて、ゆっくりとジャンプ、ステップ、ターンを繰り返す。ピンクのレオタードとフリルのついたチュチュ(スカート)がスラリとした体によく映える。

 「2年ほど前、娘が教室に通い始めた時、私がバレエをしていたのを知っている先生たちから“うのさんやろうよ”“やらなきゃダメだよ”と言われて。パパママクラスというのがあって本格的に踊るわけじゃないから気も楽だし、体を動かしてみようかなと」

 クラスは週2回、娘がレッスンを受ける間に開かれる。踊るのは約20年ぶりだったが、勘はすぐに取り戻した。今年6月にはイベントでもダンスを披露した。

 「やっぱりバレエは私の場所という感じ。長野パラリンピックの開会式で踊らせていただいたので、東京五輪でもお声を掛けていただけるとうれしいですね」。今は夢が膨らむ一方だ。

 「勉強なんかしない。バレエだけをやる」。小学生の時、両親にそう宣言したほど、5歳で始めたバレエに夢中になった。高校時代にはコンクールの全国大会で3度も入賞し、92年の中部全日本バレエコンクールではジュニア部門の頂点に立った。パリの名門バレエスクールへの留学資格も得て、世界的なプリマになれる可能性もあった。しかし、留学することはなかった。

 「留学したらバレリーナになるしか道がない。いろんなものに興味を持ち始めた時期でもあったので、この道とは決めたくなかった」。14歳の時にモデルになり、所属事務所からテレビ出演を勧められてもいた。「日本にとどまりたい、まだ将来を決めたくない」。17歳の時、芸能活動に専念することを決断し、バレエをやめた。

 それ以降、踊ることから離れていたが、人生を導いてくれたのはバレエだった。「バレエはあいさつに始まり、あいさつに終わる。社会の基本を教えてもらった。きれいな姿勢、歩き方、所作が培われたことはモデル業に役立ちました」

 タレント業には、幼い頃から大きな舞台に繰り返し立った経験が生きた。「テレビに出ても、どんな大物の方と共演しても、緊張も物おじもしなかった。バレエしか知らない世間知らずでもあったから大胆に行けたんだと思いますね」。素のままの奔放なキャラクターや発言はバッシングの対象になったが、「神田うの」の知名度は瞬く間に広がった。

 デザイナーとしての原点にもバレエがあった。12、13歳のころには、レオタードの構造を自分なりに分析。「外国製のレオタードを着ると、体の線がきれいに見えた。よく見ると、外国製は日本のものと違って、複数のパーツを立体的に縫い合わせていたんです」。この技術はドレス作りに生かされた。「ドレスも裁断すればするほど体のラインがきれいに見える。バレエの衣装を見ることで感性も磨かれました。バレエの音楽からイメージを膨らませてドレスを作ったこともあります」

 今、実感しているのはひとつの世界を極めようとすることの大切さだ。「たとえ途中でやめても、高いレベルで取り組んだ経験があれば、新たな可能性に気づけたり、別の道を切り開けたりすると思うんです」。娘にもいろんな経験をして、好きなもの、得意なものを見つけてほしいと願っている。「娘はバイオリンに熱が入ってる。イタリアに演奏旅行にも行くんです。私もバイオリンを買って、毎日一緒に演奏してます。もちろん協力は惜しみません」。タレントとして、デザイナーとして、母親として、これからも「うの流」の生き方を貫いていく。

 ≪即答!ネイルブランド「やりたい」≫ウエディングドレスのほかストッキング、下着、ジュエリーなどの自己ブランドを立ち上げ、デザイナーとしても活躍中。今年1月にはプロデュースを手掛けたネイルキット「ジェル・ドゥーノ」を発売した。「昔からネイルは大好きなので(プロデュースの)お声掛けをいただいた時はすぐに“やりたい”と返事しました。簡単に使えるので一度試してほしいですね」としている。

 ◆神田 うの(かんだ・うの)1975年(昭50)3月28日、神奈川県生まれ。名前の由来は持統天皇の幼名、鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)から。14歳からモデルとして活動し、19歳でタレント転向。07年に実業家の男性と結婚。11年10月に第1子の女児を出産した。

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