霧が晴れたら、弾けた笑顔が見えた

[ 2017年7月31日 10:00 ]

日本ハム―ロッテが行われた釧路市民球場
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 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】父親の命日に合わせて北海道の釧路に帰省した。夜の便だったので、実家の玄関に靴を脱いだのは7月22日の午後8時半すぎ。折しも作曲家の平尾昌晃さんの訃報が流れた夜だ。

 平尾さんは肺炎のため、前日の21日午後11時40分に79歳で永眠。小柳ルミ子(65)の「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」、五木ひろし(69)の「よこはま・たそがれ」「夜空」などなど、数多くのヒット曲を残した。布施明(69)の「霧の摩周湖」も平尾さんの作品。子どもの頃から何度も足を運んだ道東の観光名所だけに、筆者にとってはやっぱり一番印象に残る曲だ。

 タイトル通り、霧がかかっていて湖面が見えないことが多い。晴れていればラッキー。その美しさは言葉に出来ない感動を誘う。釧路に今年33回目を迎えた「霧フェスティバル」という祭りがあるように、道東は霧が名物になっている。

 帰郷中の25日には釧路市民球場で北海道日本ハム・ファイターズと千葉ロッテ・マリーンズの公式戦があった。同球場の開場は1983年7月。筆者がスポニチに入社した年だから、残念ながら無縁のボールパークだ。何度かプロ野球の招致にも成功していたみたいだが、選手たちを乗せた飛行機が濃霧のために釧路空港に降りられず中止になったこともあったと聞く。レーダー技術の格段の進歩で今では霧がかかっていても誘導して降ろしてくれるようになったが、一度疎遠になったものを回復するのは難しい。加えて、球場自体の老朽化も重なって、プレーヤーにも不評。プロ野球の開催は霧の向こうに消え去っていた。

 こんな悲惨な状況に立ち上がったのが市民たち。2004年に日ハムが札幌に本拠地を置いたことも大きかった。再招致への機運が盛り上がり、釧路市も14年から約12億円を投じて全面改修に乗り出した。屋外球場では道内で初となる全面人工芝が売り。7月7日に改修工事が終了し、今年、9年ぶりの公式戦開催にこぎつけたという経緯があった。

 それにしても日ハムの大谷翔平(23)の人気は半端ではない。86歳になるうちのおふくろも「大谷はめんこいね」と口にするほどだ。レアード(29)らは市内の日赤病院の小児病棟を訪れ、入院中の子供たちを激励して感激させていた。

 試合はスタンリッジ(38)の快投で、ロッテが4―0で日ハムを下したが、1万1534人の観客は久しぶりのプロ野球に酔いしれていた。試合当日の朝も、実は釧路市内にはうっすらと霧がかかっていた。それが試合開始の頃になるとスカッと晴れてくれた。親父の法事と重なっていたため足は運べなかったが、家に戻ってからテレビにかじりついた。釧路での試合が毎年のように組まれることを祈る“元くしろっ子”だ。 (編集委員)

 ◆佐藤 雅昭(さとう・まさあき)北海道生まれ。1983年スポニチ入社。長く映画を担当。

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