海老蔵 誇らしげに妻語る「笑顔と勇気と愛情。決してぶれない…」

[ 2017年6月24日 05:30 ]

小林麻央さん死去

涙ながらに会見に臨んだ市川海老蔵
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 【海老蔵会見全文】

 ――どなたがみとられた

 麻耶さんと麻央のお母さんがずっと看病していました。私は舞台が終わった後に、ここ(シアターコクーン)で別の撮影がありまして、お母さんからLINEが来ていましたが、約1時間半ほど遅れて見ました。「具合が悪い。お医者さんも来ている。家族を呼んだ方が良い」という内容だったので慌てて、急いで帰りました。まだ麻央はこの世にいてくれた。たまたま私が目の前に座って、息が苦しそうで大丈夫かなって見ていました。一昨日まではしゃべれていたのですけれど、昨日はしゃべれずにいた。不思議な話ですけど、息を引き取る瞬間を見ていました。その時に「愛してる」と言って。彼女が(5秒沈黙し)その一言を言って。(目頭を押さえて)泣いちゃいますよね。そのひと言。「愛してる」と言って(両手で涙を拭い)そのまま旅立ちました。

 ――そのときの心境は?

 何というんでしょうか。(目を閉じながら)彼女が旅立つ間際に「る」が聞こえたかどうか。こんなに愛されていたことは分かっていたんですけれど、最後の最後まで愛してくれていた。(はなをすすって10秒沈黙し)何とも言えませんね。昨日の今日でなんの準備もできていなくて。(涙を手で拭った後に目を見開いて)お見苦しいところをすみません。

 ――自宅で見送れて良かった

 とても良かったと思います。お母さま、お父さまも私も麻耶さんも、子供たちもずっとそばにいられたので。私は父を病院で亡くしているので、(5秒沈黙し)病院の時とは違いました。家族の中で、家族と一緒にいられた時間というのは、かけがえのない時間を過ごせたなと思います。

 ――家族で見送ることができた

 子供たちも見ていました。

 ――麻央さんの生き方について

 笑顔と勇気と愛情。決してぶれない自分。どんな状況でも相手のことを思いやる気持ち。愛ですよね。そういった力が最後までぶれず、一昨日まで(微笑を浮かべ)笑顔で話してくれて。昨日は調子が悪くて。家族も急にそうなってしまって戸惑った部分も大きかったです。

 ――どのような言葉を掛けたのか

 この世にあるありとあらゆる言葉を耳元で話していました。

 ――麻央さんはどのような存在

 (10秒沈黙し)とにかく私をどんな部分もどこまでも愛してくれていた。(震える声で)存在っていうのは。(5秒沈黙し)うーん、存在ね。できればずっと一緒にいて、私の方が先に逝って、彼女にはもっと幸せに楽しく、家族やお友達、麻耶さん、お母さん、お父さま、私が役者として成長していく過程をずっと見守ってもらいたかった存在です。

 ――子供たちの様子は

 麗禾は昨日はずっと麻央のそばを離れませんでした。彼女の横でずっと寝ると言って寝ていました。(うつむいて)認識はしていると思います。勸玄は分かっているんですけど、分かっていないところもあって。今日の朝も麻央が横になっているところに行って、顔を触ったり足をさすったり手を握ったり。(手で涙を拭い)そういうところを見ると、私が今後背負っていくもの、やらなくてはならないこと、子供たちに対してとても大きなものがあるな、と痛感しました。

 ――麻央さんから学んだことは

 元気になったら、自分が歩んできた過程の病、乳がんやそれに伴う病、自分が治ったら「ああしたいこうしたい。多くの人たちの救いになりたい」という思いで、闘病していました。それでブログを始めました。マスコミさんのおかげで公になってありがたかったと思います。それで同じ病の人たちと、苦しんでいる方たちと喜びや悲しみを分かち合う妻の姿は私からすると、(ただの)人ではなくて、凄い人だなと思いました。これからも教わり続けることは愛だと思います。

 ――麻央さんのどのような表情が思い浮かぶか

 (ハンカチで涙を拭い)全部です。(ハンカチで鼻を押さえながら)初めて会ったときの(涙があふれ)彼女から(ハンカチで涙を拭い)今日の朝まで。全部。全部です。

 ――笑顔が多かった

 (笑みを浮かべ)そうですね。多かったと思います。

 ――子供たちに対しての麻央さんの思いは

 (ハンカチで涙を拭い)心残りだと思います。2人のことについてどうすればいいんだろうって考えても答えが出なかったことだと思います。子供たちが歌舞伎に出演したり、7月に出るんですけど、それを見に来ることを一つの目標にして、いろいろなものをつくったんですけれど。きっと見ていると思うんで。(上ずる声で)心配で心配でしょうがないんじゃないでしょうか。

 ――麻央さんから託されたことは

 多すぎて、言葉に出せないですよね。舞台もありますし、子供の稽古もありますし、勸玄の稽古、麗禾の成長のことも考えますし。5歳と4歳ですから、これからお母さんという存在が重要な存在。それを失って、僕が代わりになれないですけど、できる限りのことをやっていくしかないと思っています。

 ――麻央さんがよく話していた言葉は

 (5秒沈黙し)麻耶さんが調子が悪くなった時も、私が舞台で疲れている時も、お母さんが看病で疲れているときも、自分より相手のことを心配する優しさ。どこまでも自分よりも相手のことを思う気持ち。(涙ぐみ)言葉ではなくて。これがね。(震える声で)一番多かったですね。

 ――麻央さんはどのような奥さんだったか

 僕を変えた奥さんなんじゃないですか。(どこが変わったか?)分かりません。

 ――プロポーズの際には「来世も」と話していたが

 (ハンカチで涙を拭い)そのつもりです。その話もしました。僕が愛想を尽かされないように頑張らないといけない。元気なときは(そのことを)喜んでくれていた。

 ――麻央さんに贈る言葉は

 昨日の今日なので、こういうところ(会見)も聞いていると思う。言わなくても伝わると思うんで。いつも思っているよってことですね。

 ――麻央さんのブログで勇気づけられたみなさんへ

 麻央のブログや存在で励まされた方々もいらっしゃるということでこういう形をとらせていただいた。それがなければ、このようなご報告をさせていただく形は、どうかなと思います。麻央のことを応援してくださった方々、ともに闘っている方々、昨日先に旅立ちましたけれど、ずっと皆さんのそばにもいると思いますので。本当にありがとうございました(頭を下げる)。

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