島の名物DJ・マンデーさん〜コミュニティー放送局が担うもの

[ 2017年6月17日 10:45 ]

久米島の名物DJのマンデーさん(写真は久米島町役場提供)
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 【笠原然朗の舌先三寸】「マンデーさん」は島一番の有名人かもしれない。ごく親しい友人以外、本名の「宇江城久人」で呼ばれることはない。子どもからオジィやオバァも道で行き違えば「マンデーさん」。

 身長1メートル70、体重90キロ。50歳。タレントの出川哲朗を浅黒く精悍(せいかん)にして、そこにシーサーのテイストを加えた風貌はどこにいても目立つ。

 肩書は、全国で306局あるコミュニティー放送局の1つ、沖縄県久米島にある「FMくめじま」の「企画(営業室長)」。午後6時から放送される「くめじまTime」でDJを務めるほか、CMの営業や集金などで島内外を駆け回る。

 「島に特化した、島の人たちにつながる話題を、島の感覚でしゃべっています」。毎回のようにゲストを呼び、トークとリクエストの音楽でつなぐゆる〜い番組だ。ゲストの顔ぶれはさまざま。ある時は久米島高校の高校生だったりする。

 久米島は、沖縄本島の西約100キロに浮かぶ離島。観光やダイビングの島としても有名だ。16年度は人口8000人ほどの島を訪れた観光客は約11万人。

 05年からプロ野球・楽天の春のキャンプ地としても知られるようになった。キャンプ中は、楽天の選手たちもマンデーさんの番組にゲストとして出演する。

 「今シーズンは楽天が強いからね。島でも盛り上がっているよ」

 「FMくめじま」の開局は12年5月17日。島民のほか、島外に月間約2400人のリスナーがいる。会社は島内外の企業などから得られるCM料金などで運営。施設にかかわる経費は、久米島町からの助成で成り立っている。

 マンデーさんは久米島出身。沖縄大学を出て、そのまま本島のUCC上島珈琲に就職。35歳のとき島にUターン。開局の年、12年の10月からDJとして活躍している。

 愛称でもある「マンデー」の由来は…。

 「那覇にいるときミュージシャンもしていた。太鼓叩いて。そのとき知り合ったがアライユキト(新井幸人)。メンバーに“サンデー”(仲宗根哲のことか?)がいて、二番弟子だから勝手にマンデー」。もしかしたらウンナンチューなら「あっそうか」のオチなのだろうが、私にはいまひとつよく分からなかった…まあ、そんなことはどうでもよい。

 こうして島の顔となったマンデーさんが地域コミュニティーFMのDJとして、本領を発揮したのは昨年10月。「統計史上国内最大級」と言われた台風18号が久米島を直撃したときのことだ。

 「気象庁とオンラインでつないで台風情報を流したさー。午後11時から“台風だからリクエストタイム”って番組やって。停電しているから情報源はラジオしかないし。12時半にスタジオのガラスが風で割れたのでやめたけど…」

 その時、寄せられたリクエストは宇多田ヒカルから歌謡曲、民謡まで。島外からメールで寄せられるリクエストにも応えた。マンデーさんの声と音楽が島民の不安を軽くしたことは間違いない。

 最大瞬間風速は59・7メートル。家屋の屋根が飛ぶなどの大きな被害をもたらしたが、死者・けが人ともにゼロ。普段から台風に対する備えができているとはいえ、特筆すべき結果だろう。そして地域コミュニティー放送局としてFMくめじまが果たした役割は大きい。

 DJとして心がけていることは…。

 「わかっていることもわからないというスタンスでしゃべる。あと自分の色はなるべく出さない。出してはいけないね」

 本島のこととはいえ、米軍基地問題など政治的な諸問題を抱える沖縄だ。「いろいろな立場の人が聴いている。だからそういう話題には触れませんよ」と少し真顔になった。

 島の月曜日は何色?

 「時間は6時を回りました。FMくめじま89・7メガヘルツ。具志川農村改善センターのスタジオからマンデーがお届けします」

 夕方とはいえ、日の入りまでは約1時間半ある。まだギラギラと太陽が照りつける島に、ラジオからきょうもマンデーさんの声が流れる。 (専門委員)

 ◆笠原 然朗(かさはら・ぜんろう)1963年、東京都生まれ。身長1メートル78、体重92キロ。趣味は食べ歩きと料理。

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