硬軟表現できる獅童 待ちたいがん治療復帰後のさらなる充実

[ 2017年5月29日 12:00 ]

中村獅童
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 初期の肺腺がんが見つかったため、中村獅童(44)が6月と7月の歌舞伎公演を降板することを書面で発表したのは今月18日だった。2日後、北海道での仕事に向かう前に羽田空港で報道陣の取材に応じ、現状を報告。「自覚症状はなく、担当医からも根治する可能性は極めて高いと言われた」と落ち込んだ様子もなく淡々と語った。ただ「歌舞伎役者として2カ月も舞台を降板しないといけないのはとてもつらい」と話したときだけは、少しうつむき加減で顔を歪めたのが印象的だった。

 この1年の活躍には目を見張るものがあった。昨年12月には獅童が手塩にかけた、絵本が原作の演目「あらしのよるに」を歌舞伎座で上演。役に人間が出てこない演目は、歌舞伎座の120年以上の歴史でも初めてだった。ニコニコ超会議には2年連続で出演。架空キャラクター・初音ミクと歌舞伎の演目で共演し、話題を呼んだ。一方で親友・市川海老蔵と昨年10月から約2カ月間、タッグを組んで地方を回り、腰を据えて古典にも挑んだ。

 上り詰めたという思いは、同年代の歌舞伎役者たちよりもきっと強い。屋号の萬屋は1971年に立ち上がった新興勢力。叔父には萬屋錦之介さんがいるが、若くして映画俳優に転じた。父の初代中村獅童さんも役者を辞めて映画プロデューサーに転身したため、獅童は8歳で初舞台を踏んだものの歌舞伎界では後ろ盾がなく、不遇な役者生活を送る。

 その境遇を切り開くために、舞台や映像作品のオーディションを何度も受けた。ブレークしたのが02年公開の映画「ピンポン」のドラゴン役。主人公の好敵手を怪演し、数々の映画賞を受賞した。それを機に、本業でも重要な役が回ってくるようになった。

 歌舞伎役者としての成功は本人のみならず、4年前に亡くなった母・小川陽子さんにとっても悲願だった。役に恵まれない少年時代から舞台の現場に付き添い、方々に頭を下げて回って、獅童の顔と名前を売り込んだ。息子が歌舞伎以外の仕事に活路を見出したときも温かく見守り続けた。

 親子の悲願が成就して、ようやく硬軟自在に歌舞伎を表現することができる立場になった中、歩みを止めざるを得ないのは残念で仕方がないはず。ただ幸いにも、本人の説明によると大事には至らないようす。これを「充電」ととらえて、復帰後の獅童のさらなる充実に期待したい。

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2017年5月29日のニュース