熊本出身「LinQ」のMYU 震災から1年 作詞「そら」に込めた郷土愛

[ 2017年4月20日 13:00 ]

大好きなくまモンのぬいぐるみと遊ぶMYU
Photo By スポニチ

 がまだせ熊本、がまだせMYU(みゅう)!!九州、福岡を拠点とするアイドルグループ「LinQ(リンク)」で最年少の15歳、熊本県出身のMYUが、熊本地震から1年が過ぎて、現在の心境を語った。震災直後は精神的に大きなダメージを負ったMYUも時間とともに本来の笑顔を取り戻し、人気メンバーに成長。地震を経験したことで、今まで以上に故郷愛、そしてLinQのメンバーとの絆が深まったと回顧した。(東山 貴実)

 悲しい出来事ではあったが、悪いことばかりじゃない。熊本地震から1年が経過し、MYUは前向きに考えられるようになった。

 「熊本に対して、余計に愛があふれるようになりました。そして、本当の意味でメンバーと一つになれるきっかけともなったと思います。成長できた1年であったし、仲間って大切なんだと心から思えた1年。本当に濃ゆい1年でした」

 昨年4月14日、16日と震度7を2回計測した熊本地震。被災地と同様に、MYUの心にも深い傷痕を残した。「一時期、メンタルをやられて。だんだんとしゃべらなくなって、食欲もなくなって。家族や被災者の皆さんがめちゃ大変な思いをしてるのに、自分だけは大丈夫で、ステージで笑顔で歌って踊ると思うと…。今思えば、完全に心が病んでいましたね」。前震の14日は5周年記念ライブに向けた練習を終え、福岡から熊本へ帰ろうとした矢先に起こった。けたたましく鳴り響く地震警報。一緒に帰途についていた大石芽依の「(震源地は)熊本よ」の声に、放心状態になった。家族とはすぐに電話はつながったが、熊本市内の自宅は被災。周辺では倒壊する家屋もあった中で、MYUの自宅は大きな損壊こそなかったが、テレビや食器棚が倒れ、自室の洋服タンスが倒れた拍子に散乱したLinQの衣装や私服は家の中に上がってきた泥にまみれた。

 地震直後の交通規制で、MYUは熊本に帰ることを断念。福岡県内の大石の自宅に約1週間、宿泊させてもらった。「芽依さんのお母さんにご飯を作ってもらったり、本当の家族のように接してもらって感謝でした」。ただ、その後、初めて熊本に帰郷すると、目に飛び込んできたのは変わり果てた街並みだった。シートで覆われた熊本城、倒れた電柱…。自宅に戻っても当然、風呂にも入れない。「家族の顔が見られてホッとしたけど、また泣きそうになって」。精神的後遺症からダンスや歌のレッスンにも身が入らず、リハーサル中に号泣することも。それでも母から「私らは大丈夫やけん。MYUが笑顔でいないと、熊本も元気にならんとね」と言われ、気持ちを奮い立たせた。その後、MYUは「そら」というタイトルで作詞。故郷の青空を見て、人とのつながりを大事にしていこうと誓った。

 小学6年、11歳のときにLinQのオーディションに合格し、2013年8月にデビュー。今でも熊本―福岡間をバスで往復4時間以上をかけて通い続ける頑張り屋さんだ。車中ではファンに向けてブログを書いたり、学校の試験前には猛勉強もする。この4月から高校生となったが、熊本の高校を選んだ。「結構な人見知りで、私からしゃべり掛けられないから、なかなか友達ができない」との悩みも口にする一方で、「熊本から通ってこそ、私の魅力が出るかな、と。本当に熊本が好きなんです。熊本の人の優しさが好きだし、田舎でもなく都会でもない雰囲気、景色も好き。将来もずっと熊本で住みたい。そして“熊本っていえば、MYUちゃんだよね”と言われる存在になりたいですね」。メンバー最年少の15歳。「ねえさん方に甘えて、好きにのびのびとやらせてもらっています」。そう笑った顔はあどけなさの残る少女そのものだった。

 ◆MYU(みゅう)2001年(平13)12月26日、熊本県生まれの15歳。愛称は「みゅうみゅう」。小学4年から「アクロバットな危ないことをするのが大好き」とブレイクダンスを始め、得意技はヘッドスピン。得意科目は体育、苦手科目は英語。特に好きな熊本の食べ物は「いきなり団子」「太平燕(タイピーエン)」。馬刺しは小2の時に「気持ち悪くなるくらい食べ過ぎました」。

続きを表示

この記事のフォト

2017年4月20日のニュース