美空ひばりさん「不死鳥コンサート」の舞台裏 当時のスタッフが秘話語る

[ 2017年4月9日 09:30 ]

特注の装置に乗り熱唱した美空ひばりさん
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 不死鳥コンサートの知られざる秘話が明らかに――。10日に放送されるTBS「美空ひばり生誕80周年特別企画in東京ドーム不死鳥コンサート2017」(後7・00)で、29年前に行われた不死鳥コンサートに携わった関係者のコメントから、ひばりさんのこだわりが浮き彫りになる。

 1987年4月、突発性大腿骨骨頭壊死と診断され入院したひばりさん。長期の入院を余儀なくされ、再起不能説まで流れた。だが、翌88年に東京ドームのこけら落としとして「不死鳥コンサート」を行うことを決意。この際、スタッフに頼んだことは2つあった。それは「お客様にあっと言っていただけるような登場方法を考えて欲しい」「ひばりの元気に歩く姿をお客様に見て欲しい」ということ。「歌のことは私にまかせてください。あとのことは、皆さん、頼みますよ」と呼びかけた。

 この難題を任されたのはひばりさんの新宿コマ劇場公演などで大掛かりな舞台装置を手掛けていた秋山メカステージ。思案の末、スタッフが考え出したのは、クレーン、エスカレーター、セリと3つを組み合わせ、流れるように動かす大がかりな装置だった。足に不安のあるひばりさんにとって段差は厳禁。段差がなく、さらに歩くこともなくスムーズに装置から降りてくる仕組みを生み出した。

 現在同社の社長を務めている秋山寿夫さんは「ひばりさんは最高の歌手ですよ。その人の最後のステージでできたということはいまだに、自分の人生の中で本当、思い出してもですね、ああやったなやったなって。すぐ、飲むと自慢話になっちゃうんですけども、そのくらい、やりがいがある仕事でした」と目を潤ませて当時を振り返った。

 衣装を担当した森英恵さん(91)も、ひばりさんの足への配慮があった。靴をフラットシューズにして歩きやすくすると同時に、足元に観客の関心が集まらないように頭部の飾りを豪華にしたという。それでいてできるだけ負担がかからないように羽づくりで軽く仕上げた。

 元気に歩いている姿を見せるため、100メートルの花道を作ったのは日本ステージ。終演ぎりぎりまではただの間仕切りにしか見えなかった壁がつながれ、1本の道になる、という仕掛けで演出した。

 演出サイドからは照明スタッフに至難の注文が出された。ひばりさんが最初に姿を現す際、ピンスポットを一発で当てろというものだ。しかもひばりさんは眉間にピンスポットが当たっていないと目で「ちゃんと当てて」と訴えてくるという伝説があった。照明からステージまでの距離は80メートル。照明を担当した山本ひとみさんは凄腕スナイパーばりの技術でただ一点を狙った。

 番組は29年前の不死鳥コンサートと、4月5日に行われた「美空ひばり生誕80周年記念 だいじょうぶよ、日本!ふたたび熊本地震・東日本大震災復興支援チャリティーコンサート」の映像を織り交ぜながら、ひばりさんの歌声と、ジャンルや世代を超えたアーティストによる熱唱を放送する。

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2017年4月9日のニュース